センスがないので。

念願の度付きサングラスを作った。

眩しいのがとても苦手だ。

大人になってから気がついた。

そして、眩しさを避けるため、サングラスがあることも。

もちろん、サングラスの存在は知っていたけれど、無駄に自意識過剰な私は、ファッション要素の高いこのアイテム、何を選んで良いかわからない。

なんてったって、センスがないコンプレックスがある。実際にセンスもない。

どうせ、自分の選ぶものは、垢抜けない。

知合いがステキなメガネをかけていて、その購入先が以下だった。

https://yujima.com/

店員の方に、オススメされたものを即決。

プロが選ぶものは間違いない。

センスがない自信があるゆえの即決。

私情が入らない。

プロの力を借りながら、センスがいい人に近づいていけるといいな〜。

 

上手になることが目的ではない

アラフォーから始めた空手。今年で4年目。

中1のN君が私にポソっと一言

「先生って○○さん(私の名前)のこと上手になると思ってないよね。基本以上のこと教えないもん」

鋭い!うすうす気づいていた。うすうすどころか痛いほど気づいていた。自分に空手のセンスがないことに。

そして、先生が教えても伸び代の少ないおばさんに全く興味がないことにも。

センスなんてなくたって、集中力を鍛えるため、精神の鍛錬のために空手をやっているのだと自分に言い聞かせながら空手を続けてきたけれど、

ズバリ言われるとやっぱり傷つく。

 

美容院で見た婦人画報8月号「ウェルビーイング研究者 前田隆司」茶道や武道など「道」のつくものと幸せの関係について解説していた。

「道」は幸せへの道。人間の心と体を鍛錬する道。

心と体を鍛錬する道とは、人は人として向上すべき、人として完成を目指すべき、よりよく、より利他的でより誠実でより心が整った人になる事を目指すもの。行動を丁寧に行うこと、感性を研ぎ澄ます事、心を磨くことが自らが幸せになるための道である。

 

そうっ、それっ!私は自分の幸せのために空手をやっているのです!

上手くなることが目的ではない。めげずにこれからの空手を続けます。

押忍(オス)!

 

不登校とは同治で付き合う

富山県南砺市城端にある織館で朝倉圭一さんの話を聴く機会があった。

その中で出会った言葉

「同治」

対治は、問題を敵とみなし、切り離し、取り除くのに対し、

同治は、問題と共に、問題と寄り添う。宮沢賢治雨ニモマケズの詩のような在り方とのこと。

「問題」部分を「不登校」に置き換えてみる。

対治は、不登校を敵とみなし、切り離し、取り除く

同治は、不登校と共に、不登校と寄り添う。

長女が不登校になってから1年程度は、私は完全に対治のスタンスで対応をしていた。とても辛かったし、どうにもならなかった。

気力も体力も限界だった。おそらく長女も同じだったと思う。

長女の不登校から4年後には長男、その2年後には次女も不登校になった。

同治を意識していたわけではないけれど、私はいつの間にか不登校を敵とみなさなくなっていた。

不登校を当然のものとして、受け入れられるようになっていた。

それが良かったのか悪かったのかはわからないけれど、同治という言葉で表現できる対応の仕方だったのだと気づく。

そして、昨日、小4から中3まで6年間不登校だった長女(高3)は留学のためカナダに飛び立った。

不登校とは「対治ではなく同治で」これからも共に、寄り添いながら日々を送りたい。

 

社会彫刻

Audible 山口周「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」を聴いた。

自慢じゃないけど、私には、生き方の指針がない。

この本の中で、指針になりそうな考え方に出会った。

「社会彫刻」ヨーゼス・ボイス氏

芸術の概念を社会全体に拡張し、誰もが創造的なアプローチで社会に関わることで、社会全体の幸福に貢献できるという考え方。

「誰もが芸術家」誰もが自らの創造性を使って社会に関わることで、芸術家になりうるという考え方。

https://bijutsutecho.com/artwiki/88

この考え方だと、芸術的なことに関わらなくたって、自分の中にあるアーティスト願望を満たせることに気づく。

そして、優先事項がわからず、楽に流れ、重要でないことに時間を割きがちな仕事も

この視点で関われば、迷いが少なく、充実した気持ちになれる気がする。

「より良い社会を作るアーティスト」を生き方の指針にできたらと思う。

 

小さい世界

映画好きの知人に勧められて、映画館で「海がきこえる」を観た。

https://www.ghibli.jp/works/umi/

痛いくらい、不器用で、純粋で、真っ直ぐで、切なくて、清々しくて、美しかった。

大学生の同窓会のシーンで、「高校生の頃は、小さい世界にいたから、大きい世界では気にならないことが気になった」との趣旨のセリフがあった(うる覚え)。

この言葉に大いに共感した。

小さい世界にいる不登校の子供達、苦しいだろうな。

学校以外に色々な世界があることを知る手助けが何かできればよいのだけれど。

すぐには何も思いつかないし、押し売りになるのも嫌だ。

子供達を観察しながら、これまで培ってきた母の勘と行動力を発揮できるタイミングを見つけたい。

小さい世界にいる子供達、いつか大きい世界を知り、引きこもっていた過去が些細なことだったと思える日が来るといいな。

 

不毛と良心の狭間で

長男(中2)の個別懇談。

中1の入学式+2日学校へ行った後、一度も外に出たことがない長男。

担任の先生は長男に会ったことがない。

今は家から出れず昼夜逆転状態。今は学校のサポートを受ける状況にもないので長男が動き出したら対応をお願いしますと伝えた。

担任の先生からは、生存確認のため、時々、連絡をしてもよいかと聞かれた?

以下、その言葉を受けての私の頭の中

『生存確認のための電話って、何だか不毛。学校として必要なことなのかもしれないが、私には必要ない。連絡されても困る。そして、電話は苦手だ。

あー、でも、担任の先生は、上司から、学校の方針として生存確認するように求められているのだろうな。この先生だって忙しい中連絡したくないだろうに。可愛いそうに。良心が痛む』

そして、私は、とっさに、「テトル(保護者連絡ツール)から定期的に連絡送ります。」と言ってしまた。

お互い、負担が少なく、学校の求めにも応じれる気がして。

にしても、八方美人の自分が嫌になる。

はっきり、そんな不毛なことやめましょうよ。と言えればよかった。

失敗したくない心理の克服

1ヶ月ぶりにボルダリングジムに行った。

昨年の9月頃から始めて、週1回ペース。

1ヶ月前は、5級の課題はほぼできるようになり、次は4級と調子に乗っていたのだけれど。

5級がほぼできなくなっていた。

自転車やスキーのように1度できれば、体が覚えているものかと思っていたのにそうではなかった。

山岳会の先輩に聞くと、1ヶ月空くと、1級程度落ちるね。とあっさり。また、練習すれば元に戻る。とのこと。

そして、ボルダリングは、失敗したくない心理の克服や鍛錬になるとのこと。

そっか、ボルダリングは、身体だけでなくメンタルも鍛えていたのか。

確かに、大人になって人前で、思いっきり失敗をさらけだす機会はない。

このような場で慣れておくことは貴重な機会なのかもしれない。

よしっ、沢登りでボルダリングの必要性も再認識できたし、メンタル強化のためにもボルダリング再開!