夕方、次女(小4)と散歩していると、
次女「私うつ病かもしれない」
私「何で?」
次女「‥やっぱり言うのやめる」
私「‥」
次女「生まれてきてよかったのか不安になる」
といって泣いた。
私「それ、お母さんも一緒」
次女「えっ、そうなの?話してみてよかった」
今思うと、『〇〇(次女の名前)がいてくれてお母さんは幸せだ。生まれてきてくれてありがとう』が模範解答だったかもしれないけれど。
とっさのことで、本音がでてしまった。
私自身も、長女の不登校以来「生きていて良いのか」の問いとは一心同体。
「そんな自分を肯定したい、生きている後ろめたさを解消したい」が行動の原動力になっている気もする。
大人は、そのようなネガティブな問いを生きる原動力に変換できるけれども、小4でそのような問いをもってしまった次女、辛いだろうに。
いつか、それが生きる原動力になる日が来ることを祈りつつ見守りたい。