愛する技術

「私の生活技術」アンドレ・モーロワ

に「愛する技術」という章があり興味をもった。愛は技術なのかと。

私は、夫への愛に自信も執着もない。しかし、子育て中は、夫婦仲良くしていた方がよいと思い、表面上は仲良くしている。

できれば、表面だけではない方がよいのだろうなとは思う。

「愛する技術」の章では夫婦の幸福のためのアドバイスが書かれていた。

・陽気であること

・忍耐強いこと

・ユーモアのセンスを持っていること

・相手を飽きさせないこと

・意見の相違点をたわいもないものと気づく心の余裕を持つこと

・夫婦の不平不満をあまり深刻に考えないこと

・ときたまは留守をして、不在による新しい結晶作用をうながすこと

なかなか、実行するものが難しいものも含まれるけれど、昔から夫婦間の愛情維持は課題だったのだと思った。

また、オードリー・ヘップバーンの言葉

「私たちは生まれながらにして愛する能力を持っていますが、他の筋肉と同じように鍛えて発達させなけらばなりません」

他にも、「仲が良さそうに見える夫婦の裏には、おびただしい数のお互いの努力の積み重ねがある」とも聞いたことがある。

ほったらかしにしていては、夫婦の愛は維持できないのだろうな。愛する技術を一つずつ実践し、日々幸福な気持ちで過ごせるようになりたいと思う。

長男への友達からのお土産

長男は小4の夏休み明けから不登校となり、今は小6。家から出ない日々が続いている。

昨日、長男の友達が、旅行のお土産を持ってきてくれた。

友達が長男のことを今でも気にかけてくれていること、友達にとって長男は価値ある存在なのだと思うと嬉しかった。

見返りを期待せず、純粋に長男を心配する気持ちは尊いなと思った。

そして、それを否定しないその友達の親もありがたいなと思った。

ドライに損得だけを考えると、不登校の長男を友達に持つことは、マイナスにはなってもプラスにはならない。

友情は損得で成立しているものではないのだと、このお土産て改めて気づかせてもらった。

長男が友達と仲良く遊べる日がくることを夢見つつ。温かい気持ちになれたお土産だった。

フルマラソンへの出場は今年が最後と決めた

2016年から毎年、11月の地元のフルマラソンの大会に出場してきた。(1回はコロナで中止)

2023年11月のレースを最後にフルマラソンの大会への出場はやめようと思う。その理由は以下。

①空手にもっと集中したい。

②知人より30キロ地点での顔が尋常でない。やばいと言われた。

③フルマラソンは身体にとって負担が大きすぎると感じる。

実は、②のショックが一番大きかったかもしれない。自分の中では、颯爽と走っていたつもりだったのに。

それはそれとして、やめる決断を後押ししてくれた言葉は以下。

「新しいことをやろうと思ったら、まず、何をやめるかを考える」どこで読んだかは忘れてしまった。

「自分は常に新しくなっていく」人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。ニーチェ

今年、最後にするにあたり、心残りが一つ。

サブフォーを達成していない。昨年は4時間1分。その他の年は4時間5分〜10分。悔しい。

サブフォー達成のための練習プログラムを組み立てて、今年こそは達成したい。

 

ようやく格安SIMに移行

「手ぶらで生きる」ミニマリストしぶ

「何となくめんどうそうを乗り越えよう」の言葉に、ようやく、キャリア(au)から、格安SIM(povo)に移行した。

格安SIMにしたいと思い立ってから4ヶ月が経過していた。

なかなか踏み出せなかった理由は、ITリテラシーが低い自分には無理かもしれないという思いと、未知のことに取組む不安があった。

実際にやってみると、私でも何とかできた。

格安SIMの会社、たくさんあって悩んだけど、povoを選んだ理由

auから移行する場合、SIMロックの解除が不要(ITリテラシーの低いので、できるだけ操作は少ない方が良い)

②安い(実店舗がないこと等が安い理由だと思う。合理的)

SIMカードの交換が不要。eSIMによりQRコードの読取りでSIMが変更できる。

格安SIMにしたことで、月々の支払いは、約5000円から1500円に。年42000円の節約になる。

ITリテラシーが低いと知らないうちに損をする時代になっているのだと思う。

損をしない程度に、自分の中の情報をアップデートして、ITリテラシーの高い人を目指したい。

「のに」を使うと不満になる

引きこもりの長男が一緒に夕飯を食べなくなった。

部屋に呼びに行っても「(夕飯)大丈夫」という。

長男の夕飯は、ラップをして冷蔵庫に入れている。

そして、長男は冷蔵庫の夕飯を家族が寝てから食べていた。

「まぁ、そういうこともあるか」とこの状況を受け流していたけれど、最近はさらに、私の作った夕飯ではなく、カップ麺を食べるようになった。

何だか、悲しくて傷つく。

せっかく、栄養状態を考えて作っている「のに」残念だと思う。

私が長男に今できることは、美味しいご飯を作るくらいな「のに」悲しい。

前に、何かで「のに」という言葉を使うと不満になると読んだことがある。

今の私は、まさに「のに」に支配されている。

「のに」ではなく、「けど」を使えばよいのかな?不満を減らす言葉の使い方がすぐに思いつかない。

いずれにせよ、長男が夕飯を食べないという些細な出来事で私は、悲しい気持ちになりダメージを受けている。

自分の気持ちを言葉にできただけでも、少し楽になれたかなと思う。

 

 

車の中の気まずい沈黙

今の仕事は、誰かと2人で車に乗ることが多いのだけど、その状況が苦手だ。

沈黙が気まずい。

私は、相手に興味にない話はしたくないと思っているので、自分の事や、自分の知っていることを話すことは苦手だ。

(ブログでは相手の興味は関係なしに、好きなことを書いているけれども)

相手が、気持ちよく話せるポイントを探り、相手が話すことを聞くことが一番、気楽で心地よい。

たいてい、自分が相手に興味を持ち、疑問に思うことを素直に質問すれば、相手は気持ちよく話してくれる。

ただ、相手によっては、どの方向から切り込んでも話が続かず、気まづい沈黙となることがある。

昨日は、そうだった。

2人で車に乗り、車を運転しているだけなのにやたら疲れた。

沈黙が気まづいくらい、まぁいっかと開き直っていきたいなと思う。

間違いなく、こっちが気にするほど、相手は何も気にしていないのだから。

 

食材を使い切る挑戦

無駄な食材は買わないように気をつけていても、気まぐれで買ってしまったり、いただいたりすることがある。

目的を決めずにわが家にやってきた食材は、使いきれず、廃棄することもあった。

そのようなことを防ぐために私がやっていること。

①食材が不足気味になっても敢えて買い物に行かない。

②家にある食材で、クックパッドで検索し、何が作れるか、極限に少ない食材でやりくりをする挑戦をする。

少ない食材でのやりくりは、普段作らない食材の組合せや調理方法に出会うこともあり、新しい発見がある。

加えて、スカスカになった冷蔵庫を見ると、達成感と満足感、これから食材を受け入れられる余裕が私を最高に幸せな気分にしてくれる。

また、食材を無駄にしないことは、自己肯定感も高めてくれる。

食材を使い切る挑戦は、お金をかけずに、幸せな気持ちになれる方法の一つだと思う。