比べるのは過去の自分

空手の型、イメージはサンドラサンチェス(オリンピック金メダリスト)なのだけど、動画で演武する自分の姿を見て残念な気持ちになる。

そこに、映るのは、カッコ悪い中年女。

見る人を魅了する演武にはほど遠い。

Audible「老いる勇気 これからの人生をどう生きるか 岸見一郎」

年をとってから始めたことを長続きさせる秘訣は「理想の自分ではなく、昨日の自分と比較して成長を実感すること」とあった。

その通りだと思う。

4月、中学校の入学式と2日間、学校へ行き、燃え尽きてしまった長男。今は、暑いのにクーラーもつけない2階の自室で引きこもっている。

このままで大丈夫だろうか。また不安になる。

1年前のブログを読むと、その時は、風呂に入らず、歯を磨かないこと、私が作った食事ではなくカップ麺や冷食を食べる長男に悩んでいた。

今は毎日、風呂、歯磨きをし、清潔には気をつけるようになった。食事も私の作ったものを食べてくれるようになった。

そして、次女の誕生日には、ケーキのロウソクに火をつけ一緒にハッピーバースデーの歌で祝ってくれた。

私の長男への理想像(自分の居場所を見つけ、人と関わりを持ちながら、幸せそうに過ごしている)からは離れているけど、過去の長男と比べると着実に前進している。

「不安にならなくて大丈夫。」声に出して言ってみた。

日常の大冒険

直売所でアーティチョークを買った。

見た目と言い、値段と言い、見かけても手を出す気になれなかったけれどついに買ってしまった。

枝豆の味がすると聞いたからだ。

350円

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香りは、笹の香り。嫌いじゃない。

cookpadで食べ方を調べるとなかなかハードルが高い。

蕾の上部分4分の1を切り落とし、30分間蒸すとのこと。

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ヘルシオホットクックで蒸す。空きスペースがもったいないのて、小さいジャガイモを一緒に。

ガクを剥がし、ガクの元の部分をしごいて食べる。確かに枝豆の味がして美味しい。

気の合う友達とホームパーティーでお喋りしながら少しずつ食べると楽しい食材なのだろうな。

長女が不登校になって以来、ホームパーティーをすることはなくなった。そして、長男が引きこもりになってからは、長男が嫌がるので、家に他人を入れることもできなくなった。

今は、その生活に慣れ、むしのその生活の方が居心地良くなっている。

アーティチョークを1人で食べながら、またいつか、気の合う人たちと一緒にご飯を食べたりすることがあってもいいのかもしれないと思った。

 

残酷なことに加担しない生き方

肉をやめて1ヶ月。

肉を食べない人のことを「ペスカタリアン」と言うらしい。

ベジタリアンヴィーガンより緩い。肉は食べないけれど魚や乳製品は食べる人。

私のペスカタリアンを決定づけた本

「獲る 食べる 生きる: 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り 黒田未来雄」

黒田さんは、熊に感謝し、熊の命をいただく。

間違っていないし、古来から人間がやってきたこと。

私は、それを残酷過ぎると感じた。熊の命をいただいてまで、自分に生きる価値があると思えないし残酷なことに加担したくない。

そして、狩猟を残酷すぎると感じながらも、平気で家畜を食べている。そんな、矛盾する自分が嫌になった。

サピエンス全史を読んだ時も、家畜を食べることは人類史の望まない方向に自分が加担していると薄々感じたけれど。

肉をやめて1ヶ月。生きる罪悪感が減って清々しい。

もちろん、子供達は今も肉食。肉なしには、献立が回らないので。結局、罪悪感が減って清々しいと言いながら肉を消費していることに変わりなし。中途半端な自分です。

 

 

心地よい会話

5月から、ブラインドランナー練習会に参加するようになった。

前回は19歳の少年、今回は50代男性の伴走をした。

走りながら会話が弾む。心地よい。

19歳の少年とは音楽の話、50代男性とは山登りの話など。話を聞いたり、聞いてもらったり。

話をしていて心地よいのは、身構える必要がないからだろう。

同年代の子育て世代や子育てを終えた年配の方と話す時は身構える。

身構えてしまう理由は以下の心の動きがあるからだ。

①子供の話にならないことを祈る。

②子供の話になった場合には、覚悟を決めて子の不登校をカミングアウトする。

③運が良ければダメージを受けないが、運が悪いと、好奇心に任せて根掘り葉掘り聞かれる。

勉強はどうしているのか?日中はどう過ごしているのか?等々。

④そして、しまいには、高次元なアドバイスや説教じみたことを言われて(色々な意味で)終了する。

以上を理由に極端に人との接触を避けるようになってしまった自分。

ブラインドランナーとの他愛のないお喋りは、私自身が癒されていると感じる。

19歳の少年からお勧めされた曲

米津玄師:地球儀

Bz :アローン、メリークリスマス

キンプリ:シンデレラガール

帰宅後聞いてみると、どれも私好みの曲だった。Bz懐かしい。音楽にも癒される。

 

茶番

次女(小4 小3から不登校)の個別懇談に行った。

先生からの悪気のない質問に心をえぐられる。

運動はしているか?→NO

学習アプリの活用はしているか?→NO

家族で出かけたりするか→NO

私は、できていない事尽くしのダメ親だという気持ちにさせられる。そして、

これまで、欠席連絡はしてこなかったのだけど、週1で安否確認のため欠席連絡が欲しいとのこと。

直感的に嫌だ、無理だと思った。

面倒だ。面倒以上に心労だ。

週1回、私の娘は不登校。私はダメな親ですと再認識をするのは嫌だ。

不幸な気持ちになる要素を生活の中に取り入れることが嫌だ。

私「ちょっと無理です。」

先生「2週に1回でもいいので」

私「・・・1ヶ月に1回でもいいですか?」

先生「わかりました」

たかが欠席連絡での必死の交渉。

茶番だな。家に帰って冷静に考えるとちょっと笑える。

そして、岸見一郎の言葉を思い出す。

不登校の子に親ができることは多くない。親自身が幸せでいることと、親子で良い関係を作ること。」

先生の物差しからすると、何もできていない親かもしれないけれど、これなら、私、できている気がする。うん。大丈夫。

 

 

 

 

四十の手習い

3年前、次女と一緒に空手を始めた。

今は、次女は辞めたので私1人で習っている。小学生の中に大人が1人。

私に熱心に指導してくれる先輩(小6男児)が2人いる。

私が型を間違えると、

「はい!失格!!!」と満面の笑み。

そして、丁寧に間違いを正してくれる。

小学生からすると、大人を指摘することは嬉しい事なのだろう。そして、中年女からすると、躊躇なく指摘をしてくれる存在がありがたい。

需要と供給が見事にマッチしていて気持ちが良い。

先生からの指摘は、呑み込みが悪く、言われた通りに身体が動かせないため、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 小学生からの指摘は、呑み込みが悪い事に変わりはないけど、嬉しそうに指摘をしてくれるおかげで申し訳ない気持ちにならずに済む。

小6男児を師と仰ぎながらの四十の手習は続く。

先行き不透明だけど平穏な日々

体と頭が重たい。布団から出て歩くと、足が鉛のように重たい。

風邪を引いたのだ。

昔の自分なら、少し無理してでも仕事へ行っていたけれど、今は潔く休む。

体の所々が痛くて、眠ることもできない。

気分転換に映画でも見よう。

AmazonprimeVideoで

新海誠の「君の名は」、「天気の子」を見た。

映像が美しく、病み中にピッタリの映画だったなと満足しつつ、こんなに余裕のある風邪休暇は子供が生まれてから初めてかもと思った。

これまでは、風邪を引いても子供のお世話というタスクが残されていた。

映画を見る余裕なんてない。体調が悪い中、ただただ、子供のお世話に疲れ、疲弊していた。

保育所への送迎、小学校の宿題、ご飯、お風呂など。

子供が成長したことに加え、今は、子供達2人が不登校兼引きこもりのため、平均的な親が担う学校や習い事に関わるさまざまなタスクから解放されている。

面倒なママ友付き合いもない。

先行きは不透明だけれど平穏無事な日々。

どこかでチェンジは必要だろうけど、今は、風邪を引いた時に映画を見られる余裕があることに感謝をしたい。