不登校の子供達への貢献

Audible『人生はあなただけのものじゃない トム・ラス』を聴いた。

①目の前の大切な人に、自分がどんな貢献をできるか考える。

②自分がいなくなった後に残るものは何かを考える。

今の私にはとても耳が痛い本。

重い病気を患いながらも、世の中や家族に多大な貢献をしている著者の姿も神々し過ぎて、未熟者の私は苦しくなった。

改めて、目の前の大切な人(不登校の子供達)にどんな貢献ができるか考えてみた。

・私が機嫌よくいること

・ご飯を作ること

・家を清潔に保つこと

・話を聞くこと

・待つこと

今の所、このくらいしか思いつかない。そして、これなら今もできている。

それなのに、貢献できていないと思ってしまう理由は、学習の支援をしていないからだろう。今は、その段階ではないと思いつつも、私には、後ろめたさがあるのだろうな。

あっ、でも、数ヶ月前から急に漢字にハマり始めた次女に(漢字アプリとノートの併用)漢字練習ノートを買いに行った。

学習に関する唯一の貢献。

今はそれが、精一杯。

 

イベントを楽しめない私ですが

私らしくないことをやってみた。

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ハロウィンのかぼちゃ。

知り合いの農家さんから、かぼちゃとキッチンペーパーに貼り付けた黒布テープをいただいた。農家さんはこの時期になると、直売所でハロウィン用に顔のあるかぼちゃを、販売しているらしい。

「小学生のお子さんおられるのでしょう。一緒に作ったらいいわ。」

わが家には、小学生の子供はいるけど、手作りを楽しむ無邪気な小学生はいない。

相手の善意を断ることが苦手な私はもらってしまった。そして、一人で黒布テープを切って、かぼちゃに貼り付けた。

なかなか楽しい。

そして、とぼけた顔が、いい感じ。自画自賛

ハロウィンとかクリスマスとかイベントを楽しむことが苦手な私。

イベントは楽しんだもの勝ち!とゆう陽キャに憧れ、子供が小さい頃は、ママ友と仮装パーティーを開いたこともあったけど、どう考えても、無理してたなぁ〜。

ディスニーランド同様、一般的に楽しいとされるものを私は楽しめない正真正銘の陰キャであるという自己理解が進んだ今は、苦手なことは無理してやらない。

かぼちゃに顔をつけて飾るくらいがちょうどいい。

「学校へ行くべき」バイアス解除

宿直から帰ってきた夫に次女(小4  小3から不登校)が言った。

社畜の鏡!」

わが子ながら、切れ味鋭いコメント。

「職場に泊まるって、学校に泊まるようなもんだよね。学校、がんばれば行けるけど、泊まるのは無理だわ〜。」

昔の私なら、すかさず、

「がんばったら(学校)行けるなら、行ってよ!」

と言っていただろうけど、

「がんばらないと行けない場所に、無理して行かなくていいよね。」

と自然に口から出ていた。

不登校親暦8年目。ようやく、「学校へいくべき」バイアスが外れてきたのかもしれない。

子供が不登校になるまで、自分に合っているか問うこともなく、社畜になっていることにも気づかず、「仕事は一生懸命すべき」バイアスに縛られてきた自分。そのバイアスも今は外れた。

時間はかかるけど、色々な思い込みは解除できるのだなと気づく。

頑張らないということ

『スロー・イズ・ビューティフル 辻信一』

で紹介されていた詩

「頑張らないということ」宇宙塵

頑張らないは、楽しい。

頑張らないは、愉快だ。

頑張らないは、自分の時を刻むこと。

頑張らないは、幸せだ。

頑張らないは、身体によい。

頑張らないは、心にも良い。

頑張らないは、自分を知ること。

頑張らないは、元気だ。

頑張らないは、争わない。

頑張らないは、自然に優しい。

頑張らないは、人を傷つけない。

頑張らないは、ほうとうの「平和」。

頑張らないは、地球を愛し続けること。

頑張らないは、宇宙。

頑張らないは、私だ。

宇宙塵は脳性マヒ、ゴミを出しに行く時でさへ、近所の人から「頑張ってね」と言われるとのこと。

「頑張ってね」つい、人にも自分にも言ってしまいがちな言葉だけど、この詩を見てホッとするのは、頑張る自分に疲れてきているのかもしれない。

今、自分が1番頑張っていることは、毎日の子供達(不登校で引きこもりのため、1日3食)のご飯準備と自分が元気で笑顔で過ごすこと。

たった、これだけだけど、それが中々難しい。ここ数週間、仕事ではクレーマー対応に時間が裂かれ、定時で仕事が終わらない。

部屋の片付けを手伝って欲しいという次女に、

「時間たっぷりあるのだから、自分でできるでしょっ」と、チクチク言葉を言ってしまった。

ほとんど、何も要求してこない子供達。

要求があったときには、ちゃんと対応できる心と、体のエネルギーを自分に溜めておきたいと思っていたのに、この有様。

頑張ることをちょっとやめてみよう。

頑張らないは私だ!

仕事をセーブする勇気

大学4年生(女性)と話す機会があった。

就職は海外転勤のある職場に決まったとのこと。仕事もがんばりたけど、結婚、子育てもしたい。仕事と子育てが両立できるか今から既に不安とのこと。

その職場では、子育てに使える制度は整えられているものの、実際にはあまり利用されておらず、子育てしながらもバリバリ働いている女性が多いとのこと。

先輩づらして言ってしまった私のコメント。

「私の場合、仕事を優先した結果、子供3人が不登校になりました。職場の制度のフル活用するパイオニアとして、勇気を持って子育てを優先してください。」

子育てを優先していたら、不登校を回避できたか?そんなことはわからない。

ただ、少なくとも、仕事を優先してしまっていたという後悔の気持ちは残らないのではないか。精一杯、子育てをした結果がこれだと納得ができたのではないか。

という、完全に自分勝手な理由で、大学生にドヤ顔でそんなことを言ってしまったのだけど。

仕事より子育てを優先することは本当に難しい事だと思う。

だって、仕事をしている方が楽だから。

しかも、がんばって仕事をすれば、感謝されたり、認められたり、分かりやすい。

子育てのように成果が見えづらいことより達成感があり、自己肯定感も上がる。

そして、子育てのために働き方を大きく変えるより、今まで通りの働き方を惰性で続ける方が考えずに済む。

私は、まんまとその罠にはまってしまっていたのだよ。忙しいぶっていたけど、充実感を捨てる勇気や変化する勇気がなかっただけ。

偉そうにアドバイスしてしまった大学生ごめんなさい。けれども、私の本音です。

 

夫婦は別れられる家族

「夫婦って、別れられる家族なんだと思います。」ドラマ「カルテット」で松たか子が演じるマキさんの言葉。

高2の長女に、私のお気に入りのドラマだから見てみて!

とオススメされたドラマ。

このドラマをオススメした長女に、深い意味があったかは不明なのだけど、長女は夫と私の不仲に気づいているのかもしれない。

子供が自立するまでは、何としても「夫婦仲良く」とまではいかなくても、子供を不安にさせてはならないと「不仲ではない」体を装っている。

「別れられる家族」だからこそ、仲良く過ごすには努力が必要なことは十分承知。

20年努力しました。子供が自立(自立しない可能性も大だけど)するまであと10年。あと10年がんばれば、もうさすがにいいでしょっ。

早くこの生活から解放されて自由になりたい。

こんなに幸せな日がくるなんて思わなかった

『「こんなに幸せな日がくるなんて思わなかった」と、言える日がきっとくるから大丈夫』

今、フルマラソン完走に向けて、一緒に練習をしているブラインドランナーからの言葉。

素敵なオーラをまとったその女性は、明るく溌剌としていて、一緒にいると元気をもらえる。

その女性は、お子さんの不登校を経験後、自身も、病気で目が見えなくなり、落ち込んで3年間家に引きこもっていたとのこと。

不登校の娘から「目が見えなくても、お母さんはお母さんでしょっ」と言われたことをきっかけに徐々に立ち直ったとのこと。

そんな女性からの

『こんなに幸せな日がくるなんて思わなかったと、言える日がきっとくるから大丈夫』

の言葉は説得力がある。「今は想像つかないかもしれないけど大丈夫だから。」と励まされる。

同じ経験がある(どころか、自身の失明という、負荷の高い経験をしておられる)方からの言葉は本当にありがたい。勇気づけられる。自分もいつか、勇気づける側に行けるといいな。