自分の中に染み付いている理想の母親像が苦しい。理想の母親像は以下。自分の夢を諦めても、愚直に気丈に子育てをやり遂げる母。
「道標 福山雅治」
わたしは その手が好きです ただ毎日をまっすぐ生きて わたしたちを育て旅立たせてくれた あなたの その手が好きです
雨に打たれても土に触って ひとつひとつ種を蒔く背中は 諦めた夢もきっとあるでしょう だけど わたしには笑顔で…
自分の人生を生きたいと思うけど、義務を放棄してまで好きなことをするのは贅沢な気がする。その気持ちを代弁してくれた詩は以下。
「ぎらりと光るダイヤのような日 茨木のり子」
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたり、もっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品となってしまう
世界に別れを告げる日
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりにも少なかったことに驚くであろう
子供を育てる義務と自分の人生を生きることはトレードオフの関係だろうか?
「生きがいについて」神谷美恵子では「自分がしたいことと義務との一致」、「願いと使命が一つになる」ことが生きがいの発見と書かれていた。
もしかしたら、不登校の子を育てることと、自分のやりたいことの交差点がどこかにあるのかもしれない。
今はまだ見つからないのだけれど、そのようなものが見つかれば充実した人生になるのだろうなと思う。