憐れまれたくないが原動力

長女が6年前に不登校になってから、空手や低酸素トレーニング、技術士温泉ソムリエの取得などに取り組んだ。

今思えば、その原動力は、「憐れまれたくない」だったように思う。

長女が不登校になりたての頃、ママ友から「疲れてる?大丈夫?」と言われ、ものすごく憤りを感じた。

相手が、優越感からその言葉を言っているように感じたからだ。

憐れまれるような状況であろうとも、憐れまれたくはない。

7時間睡眠を守り、食事、運動など健康に気をつけているのも、不機嫌にならないため+疲れているオーラを放たないためだと思う。

「子供が不登校であろうとも、私は元気で穏やかに過ごせているのだ!」とアピールをしたい。

私が元気かどうかなんて、他人は気付いても気にしてもないのだけれど。

実際は、心の中は大荒れのことも多いから余計にアピールしたいのかもしれない。

そんな、プライドが高く、不純な動機が行動の原動力になっているなんて正直恥ずかしいのだけれど、それも自分なのだと思う。