現在わが家には小3、小6の引きこもりの子供達がいる。高1の長女は6年間の不登校の後、県外で1人暮らしをしながら通信制高校に通う。
時々、私が引きこもりの子供達に対して苦しくなる理由。
待つことに疲れてくるからだと思う。
何を待っているのか。
・前向きな変化を待つ。
・動き出すのを待つ。
・元気になるのを待つ。
・何か、言い出すのを待つ。
・笑顔になるのを待つ。
・外とつながりたい気持ちになるのを待つ。
提案はできても、本人がその気になるまで待つしかない。
私の苦しさの原因は「待たされている感」なのかもしれないと、以下の本の言葉を聴いて思った。
Audible『水の中の哲学者たち 永井玲衣』
「待つことはつらい。ただし、待たされることを待つことと捉え返すとき、それは、決断と主体性を帯びたものになる。急ぐことを拒否する態度になりうる。待つことは目を覚ましていることだ。苛立ち焦りを感じながらも、それを注意深く拒むことだ。」
「待つ」と覚悟を決めることで、「待たされている感」ではなく、前向きに現在の状況を捉え直すことができる気がした。