NHKラジオ番組「飛ぶ教室」の冒頭約3分間のオープニング・エッセイをまとめたもの。
高橋源一郎さんの、驚きのエピソードがあっさりと語られ、自分の気持ちや気づきが素直でやさしい言葉で表現される。深いい話から、共感したり考えさせられたりと楽しい。
その、エッセイの中に、高橋さんが、親に関心を持てず、理解もできなかったけど、最近わかるようになってきたとあった。
そして、自分の親のことを以下のように考察していた。
「子供の部分を持ちながらも、親という役割を演じてくれていた。」
この言葉を聞き、まず、親になりきれていない自分のことを思った。
親という役割が追加されたけれど、相変わらず気持ちは子供のままで夢ばかり追いかけてしまう。
でもそれは、自分だけに限らないのかもしれないと思うとホッとした。
次に、絶縁状態の親のことを思った。
絶縁理由は以下。
https://warajirun.com/entry/2023/08/13/073939
自分の親も同じように、親という役割を演じる子供の部分を持った同じ人間なのではという気持ちになった。
私の怒りの原因は「親なのに分かってくれない、理解不足」だったけれど、親だって経験していないことは分からないし理解できなくて当たり前なのかもしれない。
私の中の「親だから分かってくれるはず、理解してくれるはず」バイアスが怒りの根源だった気がする。
親だけど、「分からなくて当たり前、しょうがないよね」が理想かも。
盆も正月も顔を出さなくなって、7年。
長時間の接触は、メンタルダメージリスクが高いけれど、正月のあいさつくらいは行けるようになった方がいいのだろうなとも思う。