母の日にもらった花を喜べない自分が嫌だった

仕事×家事×ワンオペ育児中、母の日に夫と子供から花をもらったことがあった。

「ありがとう」という言葉を絞り出したけど、嬉しくなかった。

花を処理する仕事が増えて疲れるという気持ちが1番先にきてしまった。

そして、母であれば満面の笑みで心からのありがとうを言ってあげるべきなのにそれをできなかった自分に落ち込んだ。

うしのめたさの人類学 松村圭一郎」の中に、『家族のあいだのモノのやりとりが徹底的に「脱経済化」されることで、愛情によって結ばれた関係が強調され、それが「家族」という現実をつくりだしている。』とあった。

私が家族に対して息苦しさを感じる原因はこれだと思った。母親が脱経済化された領域で無報酬で働き、それが愛情とされている。

脱経済化との対比によって強調されているだけの愛情を私も愛情だと信じ込んでいた。

脱経済化された無報酬労働(家事)=愛情ではない。愛情は脱経済化の対比ではなく、心の余裕で生まれるものだと思う。

愛情のある親になりたければ、脱経済化された無報酬労働を軽減し、ゆとりや余裕を持つことが必要だと思う。