私の職場には、独身の方や不妊治療をしたけど子供ができなかった方がおられる。
そんな中、「子供の病院で休みます」など休む事情をその都度報告する人もいる。
上司との家庭状況の共有は必要なのかもしれないけれど、周りの方に無配慮なのではと感じる。
そう言う私も、子供が不登校になる前は、どや顔で、子供を理由に休み、「大変アピール」をしていたなと思う。今は、休む理由を一切報告しない。
子供が不登校になり、他人の普通の会話の中に自分を傷つける言葉があることに気づいた。
そして、自分も気づかないうちに人を傷つける言葉を発しているのではないかと思った。
茨城のり子の詩
「苦しみの日々 哀しみの日々」の一節を思い出した。
「少しずつ 少しずつ深くなってゆけばやがて解るようになるだろう 人の痛みも柘榴のような傷口も わかったとてどうなるものでもないけれど(わからないよりはいいだろう)」
子供の不登校のおかげで、他の人の気持ちを少しは考えることができるようになったのは、よかったことなのだろうと思う。