笑い話になる日を待つ不幸話

高齢の方に、人生の思い出を尋ねると、たいてい、苦労話を笑い話として生き生きと楽しそうに話されるそうだ。確かにそうかもしれないと思う。

7年前、長女が不登校になったが、その1年前に私は4人目の子供を流産していた。

長女が不登校になった後、

夫「水子の祟りだと思う。お祓いに行った方がいい」と言い出した。

私「お祓いしたければ1人で行って。私は日常に精一杯でそれどころではないから」

長女不登校後も、夫は残業の日々。私は、3人の子のワンオペ育児をしていた。

夫に心を閉ざすきっかけとなった出来事。

今となっては「そんね事あるわけないでしょっ」と笑って言える余裕があったらよかったと思う。

その話題は既に暗黙の了解のタブーとして一度も話題に上がったことはないけれど、夫への不信感として心にひっかかったまま7年たった今でも残っている。

ただ、ようやく、思い出しても怒りの感情が湧き上がってこなくなってきた。

時間の経過の力はすごい。時間の経過で心が浄化されていくことをイメージする。

いずれ笑い話になる日を夢見て。