社会の役に立つ生き方もあってもいいけど

電車で盲導犬と一緒になった。

近くで盲導犬を見るのは初めてだった。

大きくて、賢そう。凛々しくてかっこいい。背中には「仕事中」の札がついている。厳しい訓練を受けてきたのだろうな。

家に帰ると、我が家の猫2匹が床で長くなって寝っ転がっていた。

同じペットでも、厳しい訓練を受け人間の役にたつ生き方と、のんびり気ままな生き方があるのだな。と思った。

急に、長女が中3の時の担任の言葉を思い出した。(長女は現在高1。小4〜中3まで不登校、中3の先生には大変お世話になった。)

「◯◯さん(長女の名)には社会の役に立つ人になってもらいたい」

先生の何気なく言った言葉に、ずっと違和感を感じていた。

学校は社会の役に立つ人間を育てる場所だったと再認識。

そして、自分自身も、学校で刷り込まれた結果、社会の役に立つ人間になるべきと思い過ごしてきた。

その思いが過剰過ぎて、以前は、不登校の我が子や、ホームレスの方々等を受入れることができなかった。

社会の役に立つ生き方があってもいい。でも、そうではない生き方もあってもいい。生きているだけで価値がある。今は、自然とそう思えるようになったのだけれど、学校での刷り込み恐るべし。

盲導犬を見つめていたら、電車を出る時、私の足を舐めてくれた。可愛くて嬉しかった。