家事が嫌になりそうな時の思考法

わが家は、家事全般を私がやっている。夫や子供に家事をさせるための工夫や努力、がまん強さ、心の余裕など私には、その全てが不足していたので、この状況は仕方がない。

子供が小さい頃は、子育てで家事がやりたくてもできなかったので、夫に子供を見てもらい家事ができることは幸せだった。子供がある程度大きくなり、家事をする時間ができた今は、家事ができることを有難いと思う気持ちが薄れてしまった。それどころか、誰にも感謝されず、無報酬の労働に嫌気がさす時もある。

そんな時私は、禅寺にいる僧になりきり、作務(掃除を始めとるすあらゆる労務のこと。禅寺では坐禅と同じく重要な修行と位置付けられている。)として家事に取組むようにしている。心を清めるための修行の一環だと思って、無心で目の前の家事に集中すると、清々しい気持ちになれる。

『「一日不作 一日不食 いちにちなさざれば いちにちくらわず」今日なすべきことを粛々となしていく。』

おだやかにシンプルに生きる 升野俊明

時々、禅語に触れると、背筋がシャンとする。