癒しのチョコケーキ

Audible『大人の女におやつはいらない 若林理砂』を聴いても、勝間和代さんの本を読んでも、私の体にこれ以上、糖分が必要がないことはよくわかっている。

それでもやめられないお菓子。

「チョコケーキ」

洋菓子店の高級チョコケーキではなく、コンビニで買える有楽製菓の60円のチョコケーキ。

以下チョコケーキのHP

https://yurakuseika.co.jp/lineup/chococake/

2枚入り。1枚は朝、1枚は夕方にと思うけど、封を開けると止まらない。一気に2枚完食。

カロリーは1袋173kcal。

簡単に消費できるカロリーではないのだけれど、ついに、箱買いをしてしまった。

1袋食べても、まだたっぷり家にある安心感。幸せだ〜。

選ぶ道より選んだ勇気

DISHの沈丁花の歌の歌詞に

「選ぶ道より選んだ勇気」

とあった。これだと思った。

歌詞から推測すると、息子が母に言われて嬉しかった言葉のようだ。

10日ほど前、風呂に入っていると。

長男(小6  小4から引きこもり)が「なんか怖くなった。怖い。なんか怖い」

と声をかけてきた。

自分から何かを言い出すことは滅多にない長男。

驚いた私は、慌てて風呂から上がり、タオルを巻いた状態で長男の話を聞くことにした。

私「どんな風に怖い?」

長男「数字を数えていたら、急に数字がなくなるような怖さ」

私「・・・」

うっ。難易度が高すぎる。

「不安な感じ?」

長男「わからない」

私「今は怖いかもしれないけれど大丈夫だから。何も心配いらない。」と何度も繰り返す。

落ち着きを取り戻した長男は、自分の部屋へと帰っていった。

この対応が正解か、不正解だったかはわからないのだけど、「何も心配いらない」は私の本音ではなかった。正直、嘘だ。

私自身、心配な気持ちと闘いながら、時に負けそうになりながら日々を送っている。

嘘をついた罪悪感が残る。

そこで出会った、沈丁花の歌詞

「選んだ道より、選んだ勇気」

今の状況に当てはめると

「話す内容より、話してくれた勇気」

話してくれた勇気が嬉しかった。と素直に伝えればよかっただけかもしれないと思った。

これなら、本当の気持ちだから罪悪感が残らない。

次回同じ状況になったとしたら、そう言ってみよう。日々、試行錯誤。

待たされることと待つことと

現在わが家には小3、小6の引きこもりの子供達がいる。高1の長女は6年間の不登校の後、県外で1人暮らしをしながら通信制高校に通う。

時々、私が引きこもりの子供達に対して苦しくなる理由。

待つことに疲れてくるからだと思う。

何を待っているのか。

・前向きな変化を待つ。

・動き出すのを待つ。

・元気になるのを待つ。

・何か、言い出すのを待つ。

・笑顔になるのを待つ。

・外とつながりたい気持ちになるのを待つ。

提案はできても、本人がその気になるまで待つしかない。

私の苦しさの原因は「待たされている感」なのかもしれないと、以下の本の言葉を聴いて思った。

Audible『水の中の哲学者たち 永井玲衣』

「待つことはつらい。ただし、待たされることを待つことと捉え返すとき、それは、決断と主体性を帯びたものになる。急ぐことを拒否する態度になりうる。待つことは目を覚ましていることだ。苛立ち焦りを感じながらも、それを注意深く拒むことだ。」

「待つ」と覚悟を決めることで、「待たされている感」ではなく、前向きに現在の状況を捉え直すことができる気がした。

逃げるが勝ち

次女と一緒に習い始めた空手。

今は次女は辞め、私だけ習っている。

同じ教室に次女と同じクラスの子もいる。

まわりは全員小学生。

空手後、お母さんたちの話題に入るのが嫌で、逃げるように帰っていたのだけど、今日は逃げ遅れた。

PTAの役員の話て盛り上がっている。

突然「◯◯小学校(次女の通う学校)はPTAないですものね」と、次女と同じクラスの子の母から話題をふられた。

学校に行ってないからそんなことはわからない。

私「子供が不登校で、学校のことあまりわからないんです。」

「そうなんですか。」

と、すぐに違う話題に戻っていった。

次女の不登校を知らずに話題をふったのか、知っていて話題をふったのかはわからない。

不登校を知らないとは考えにくい。

モヤモヤする。

知っていて話題をふったとしたら、傷つけようという悪意を感じる。

傷つけてやりたくなるくらい私が元気そうに見えていたなら、それはそれでよかったとも思う。

そして、学校の話題をふられて、ヘラヘラ笑っていられるほど私は振り切れていないし、熟してもいないことに気づく。

不登校親の会へ行くと、子供が不登校にも関わらずPTA会長をしていたというお母さんもおられる。

私は今のところ、そのような境地には至っていない。

相変わらず傷つきやすい。逃げるが勝ち。デンジャラス地帯はできるだけ避けながら日常を送りたい。

まずは、空手が終わったらダッシュで逃げ帰るところから始めよう。

 

悪いことには良いことがついてくる

3ヶ月前も前の話だけど。

にんじん畑でにんじんを栽培する農家の方と話をした。

商品にならない形の悪い「にんじん」は、福祉施設の方に、無料で持って行ってもらっているとのこと。

にんじんジャムになり販売されていて、なかなか美味しいとのこと。

農家の方の人柄、静かなにんじん畑、気持ちの良い秋の空が私の口を軽くしたのだと思う。

聞かされた相手の気持ちを考えることもなく、

「子供3人が不登校なので、福祉関係、興味あります。どこにある福祉施設ですか?」

子の不登校を公開した。

「えー!3人不登校。それは大変だわ。でも、良いことには悪いこと、悪いことには良いことがついてくるって、家のばあちゃんよく言ってたわ。」

その言葉に励まされた。

もう一度、その言葉を振り返ってみた。

不登校=悪いこと』とすると『良いこと』は・・

・色々な人の痛みが少しは想像できるようになったこと(できたところで何てことはないけれど)

・これまで正しいと思っていた働き方(残業が美徳。滅私奉公)を見直せたこと

・心と身体の健康管理をより真剣にできるようになったこと(超健康じゃないと、日常が送れないため必然的にそうなった。のだと思う)

うん。「悪いことには良いことがついてくる」

その通り。農家さんありがとう。

 

 

未熟人間と気づく

小3の次女は夏休み明けから不登校

バレンタインの日、2組の次女の友達と、そのお母さんが手作りのお菓子等のプレゼントを持ってわが家を訪ねて来てくれた。

照れながらも、何とか玄関でプレゼントを受け取る次女。

次女のために時間を作ってくれたのだなと思うと嬉しいやら申し訳ないやら。

1組の親子は、ダウン症の幼いお子さんを連れていた。出かけるだけでもエネルギーがいるのではないかと思う。

私が、逆の立場だったら同じように不登校の友達を気遣うことができただろうかと考える。

間違いなく、できなかっただろう。

「余裕がない」を言い訳に自分の日常を優先していただろう。

本当は、余裕がないのではなく優しさや思いやりが不足しているだけなのだけど。

さらに正直に言うと、不登校に巻き込まれなくないから、不登校の子とは距離を置きたいと思ったかもしれない。

私は、今のところ、身近な誰かを気遣って行動を起こすことが苦手な未熟な人間なのだろう。

次女の友達親子のような温かさに触れながら、未熟な私も成熟した人間に近づいていけたらよいなと思う。

不登校・引きこもりは子供の課題であって親の課題ではないby岸見一郎

夏休み明けから不登校となった小3の次女。

ほぼ、引きこもり状態だけど、月1回一緒に映画を見ている。

映画の帰り、天気が良かったので一緒に歩いた。家まで1キロ弱。

次女は途中で、足が痛いと言い出した。普段外に出ることも、歩くこともないから、筋力、体力が衰えているのだろう。

なんてこったい。生きていくには体力も必要なのだが。と急に不安になった私は、つい、

「◯◯、(次女の名前)将来のこと不安になったりする?」と聞いてみた。

次女「不安じゃない。何とも思わん」

私「体力なかったら、できること限られるかもしれないけど不安じゃない?」

次女「不安じゃないけど、何をするのも面倒で動きたくない。家にいたい。」

私「例え、仕事できなくても生活保護を受けて生きていくこともできるから」

と不安じゃないと言う次女に、完全に自分向けの意味不明の回答をしてしまった。

将来への不安で苦しんで泣いている長男も心配だけど、将来を不安と思っていない次女も心配だ。

「ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解 岸見一郎」

エネルギーのない部下にどう対応したらいいかの質問への回答として、不登校・ひきこもりへの対応が例として書かれていた。

・まず、不登校や引きこもりは子どもの課題であって親の課題ではない。

・エネルギーがない人からエネルギーを引き出すのはかなり難しい。

・まわりの人ができることはあまりない。

・エネルギーがない人はかなり長く待たないといけない。

・私が直接何かの力になれなくても、やがて自分の課題を自分で解決する力があると思って見守るしかない。

・必要があればいつでも関われる状態で、あえて手出し口出しをせず少し離れてみる。

結論、心配しても仕方がない。長丁場を覚悟で、私は私で自分の人生を生きることにしよう。よしっ、明日からも勉強、空手、水泳、自分のやりたいように時間を使おうっと!