チェスのためにチェスをすることを許さない社会

  • 一時期、ギターにハマっていた次女。

今は、全く弾いていない。その理由を尋ねると、

「パパに教室に習いに行った方がいいと言われて、ギターを弾く気分が萎えた」

とのこと。すぐに形にしたがる夫。夫の気持ちも次女の気持ちも分からないではないのだけれど。

 

Audible 知の探求 「この人と60分」自由は目的を超える 國分功一郎

の言葉にハッとさせられた。

・チェスのためにチェスをすることを許さない社会

・何もかもが、何らかの目的のために行われていて、何かの目的のために行動することが当たり前になっている社会

・必ず何かのために役に立たなければいけないと思ってしまう。

・目的からはみ出る行為を自分に許せない。

 

ただ、ギターを楽しんでいる次女を、人と交わる目的ための手段にしようとした夫。

息苦しいな。そして、それを敏感に察知した感受性の高い次女。

夫のことをディスってしまったけれど、

自分にも思い当たる事がある。

漢字にハマっていた頃に、漢字検定を受ければ?とアドバイスをした。

今思うと、成功体験(失敗体験)を積んで欲しいという目的があったのだと思う。

それが、きっかけか、次女は漢字も今はしていない。

目的からはみだす行為を排除しようとしていないか?

何でもかんでも目的達成のための手段にしようとしていないか?

目的からはみだす行為を寛容に受け入れ楽しめているか?

自分自身を点検し、子供達には伸び伸びと育って欲しいなと思う。