昼、家に帰り、不登校の子供達の昼食を作るようになり、一年くらい経ったか。
同僚とのランチ等、昼時間の予定は全てキャンセル。(もともと昼ごはんを食べていないからもあるけれど)
ランチを断る際、正直に、「不登校の子供達のご飯を作りに家に帰りたいので」と伝えると、大抵、「大変ですね」、「甘やかしすぎ」、「偉いですね」などのコメントが返ってくる。
その度に何だかモヤモヤしていた。
そのどれもが何だか違う。。
大変でも、甘やかしでも、偉くもない。
その答えが「うしろめたさの人類学 松村圭一郎」の中に見つかった。
『「うしろめたさ」という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。』とあった。
私の過去には、子供より仕事を優先してきたうしろめたさがある。そして、それが、引き金となり子供達3人全員が不登校になってしまったうしろめたさがある。不公平に時間配分をしてきた過去とのバランスをとるために、公平さを取り戻すために、私はお昼ご飯を作りに毎日家に帰っているのだと気づく。
昼ごはんを作りに帰るのは、単に自分の「うしろめたさ」を解消するため。
大変でも、甘やかしでも、偉くもない。