遊動(テンベア)したい

先日、富山大学公開講座で今福龍太さんの話を聴いた。

おもしろかった。こんな生き方のジャンルがあるのかと思った。

 

心に残った言葉

・歩く人は第4階級。歩くことによって近代化から自由になれる。

・サファリも旅もスワヒリ語で旅を表す言葉だけど、内容が異なる。

 サファリ;行き先や帰るところがはっきりしている、実利的な旅。

 テンベア;行く場所が偶然、さまざま、出会うことを全面的に受け入れる心持ち、自然内在的、反社会的行為、属性ではなく、まっさらな人として歩く行為、即興に立ち、偶然を受け入れる、「今」を確認する心、生き方の真実を発見するための彷徨

・山と山は巡り会わないが、人と人は巡り会う(サバンナ、スワヒリ世界のことわざ)

 

あー私のしたい旅は、テンベアだ!

目的なく、偶然性を受け入れながら放浪したい!

と友達に話すと、20代の頃は、その欲望あったけど、この年になったら(私と同じ40代)、

放浪しなくても身近なところに放浪したのと同じくらい楽しく刺激的なことがあると気づいた。とのこと。

なんたる大人、成熟している。

そして、精神年齢が今も大学生並みの自分に気づく。

未成熟な自分、恥ずかしいけれど、仕方がない。

全てが帳消しになる瞬間

富山マラソン 視覚障害の方の伴走をした。

今年で2回目。同じ方の伴走。

目標はサブ6。結果は5時間47分。

ゴールの瞬間、涙が出た。

自分1人で走っていた時は、ゴールで涙が出たことはなかった。

昨年のマラソン後、そのブラインドランナーは大きな手術をされた。それが、回復して、今日走れた。

スタート地点に立てるだけで嬉しいと言っておられたのだけれど、目標まで達成されるとは。

すごい。

もちろん一番がんばられのは、ブラインドランナーなのだけど。

今日に至るまで、私自身の練習時間のやりくりもそれなりに大変だった。

1回あたりの練習は半日コース。

不登校の子供達を家に残していったい私は何をしているのだろうという気持ちになることもあった。

そして、前日の渋滞、激混みエントリーも半日コース。

私は人のために時間を使えるほど余裕のある人間ではないのでは?

と悶々としていたけど、ゴールの瞬間、その思いは全て帳消しになった。

やっぱりやってよかった。

子供達に、いつの日か自分のやっていることを説明しよう。

おそらく、否定はしないだろう。

 

贅沢な調理実習

2年間、不登校だった次女(小5)が、先週学校に行きたいと言い出した。

まずは、学校に慣れるため、週1で放課後学校に通うことになった。

1回目は、その日の授業が調理実習だったとのことで、先生、次女、私の3人で放課後に調理実習をした。

ご飯を炊いて、味噌汁を作る。

先生を2人じめしてやる調理実習。 

何たる贅沢。

忙しい中付き合ってくださる先生には感謝しかない。

調理中、4階から見える外の夕日が美しかった。

そして、こんなに生き生きと楽しそうに振る舞う次女も初めて見た。

涙が出そうになるのこらえながら、

時々、夕陽を見て次女を直視しないようにしながら。

泣くと次女に恥ずかしいと怒られそうで、必死に耐えた。

先生と次女の3人でこの贅沢で幸せな時間を存分に味わった。

不登校のことを考えると、カサカサ、モヤモヤしがちな日々の中で、陽だまりのような時間。

この先どうなるかは分からないけれど、一つ一つの目の前の出来事に感謝し、味わっていけたらなと思う。

日常をほどほどに脱マンネリする方法

自慢じゃないけど、私はとても飽きっぽい。

すぐに、新しい刺激が欲しくなる。

冒険したくなる。

かといって、頻繁に一人旅に行く時間もお金も十分にあるわけではない。

1人でひっそり、時間、お金をかけずに日常を脱マンネリして楽しみたい。

以下のことで、随分と楽しい気持ちになれるのだけど。

①ランニングコースを変える

②家具の配置がえ

③普段買わない食材を買い料理する

今日は①で、脱マンネリ大成功。

ひたすら家から、川の堤防を走った。あまり何も考えず、ただただ好奇心に任せてどこまで行けるのだろうと。

朝の堤防は、川がキラキラしていて、気持ちが良い。

そして、海に出た。

f:id:warajirun:20251025220919j:image
f:id:warajirun:20251025220923j:image

信号なしで、行き止まりなく、海に出られるなんて知らなかった。

何で優秀なランニングコース。

もう10年も走ってるのに、このコースを、なぜ発掘できていなかったのか。

家からの往復距離は19キロ。ちょうどいい。

家周辺での、気ままな旅での偶然の「素敵ランニングコース」との出会い。最高だ。

 

 

 

 

無敵の人

2年間不登校だった次女(小5)、「普通のレールに戻りたい」とのことて、担任の先生と話をしてきた。

週一回、放課後に学校に通い、学校に慣れるところから始めましょうとのこと。

親身に対応してくださる先生に感謝。

そして、私は週1回、夕方仕事を休むことにした。

以前の私だったら、躊躇していただろうけど、今は全く迷いがない。

先生から仕事は大丈夫ですか?と聞かれ、

「仕事は休暇とります。」と即答。

そして、翌日、上司に事情を話し了解を得た。

 

周りの目なんて、気にならない。

有給を消化し、給与が下がったとしても気にならない。

仕事を完璧にこなせない、ダメな自分も気にならない。

 

私の優先順位の第一位は子供。

子供の、気持ちに寄り添い応援できる日を待っていた。

 

無敵の人(むてきのひと)

は2008年にひろゆきが作った言葉らしいのだけど

「社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人」

を意味するインターネットスラング。 

今の私

「仕事に失うものが何も無いために、仕事を休むことに何の躊躇もない人。」

 

10年前の自分が今の自分を見たら、驚くだろうなぁ。仕事を一生懸命やることで、自分の存在意義を確認している節があったから。

 

シンプルに優先事項を優先。潔い自分、嫌いじゃない。

 

Amazonでの買い物をやめようかと思う

便利なものが大好きで、Amazon依存症の私だけれど。

映画

「10月7日からのガザ」を観た。

ショックだった。子供がターゲットになっているジェノサイド。

イスラエル兵の愉快そうな姿。

そして、イスラエルにビックテックの情報技術が使われていること。そして、ビックテックが多額の利益を得ていること。

ビックテックとはGoogleAmazonApple、METE、Microsoftのこと。

これらなしには、日常生活が成り立たないような気もするけれど。

少しずつ、ジェノサイドに加担するものから自分を切り離したい。

と興奮気味に、次女(小5)に話すと、一つの情報に影響を受けすぎるお母さんが危険とのこと。

次女、冷静すぎる。確かにそうだ。

でも、出来ることから、少しずつ変えていきたい。思い込みの激しい自分を自覚しながら。

普通のレールに戻りたい欲

小3から不登校、現在小5の次女が普通のレールに戻りたいと泣いた。

集団の中にいると自意識過剰、気を遣いすぎて疲れるようなので、無理して学校に行かなくてよいと思っていたけれど。

やわやわ、別の選択肢を探していきたいと。

集団に属したい、普通のレールに戻りたいは、人間の本能なのかもしれない。

chatGPTに聞いてみた。


① 人間に本来備わっている「つながりたい」という本能

人は生まれながらにして「群れの中で生きる」ようにできています。

心理学者アルフレッド・アドラーは、人間の幸福の根本は「共同体感覚(つながりを感じること)」だと述べました。

たとえ一人が気楽でも、「仲間の中に自分の居場所がある」 ことを本能的に求めるので

「普通のレールに戻りたい」

という願いは、「私もみんなと同じように認められたい」「取り残されたくない」「つながりを感じたい」という、ごく自然で健康な心の動き なんです。

② 社会や環境によって育まれる「比較と同調の意識」

一方で、「普通」という言葉は社会が作る基準でもあります。

学校に行くのが当たり前、進級してクラスで過ごすのが普通、という社会の価値観が子どもにも強く影響します。特に日本の学校文化では、

「みんなと同じであること」=「良いこと」

とされやすい傾向があります。

だから、環境の中で自然と「自分だけ違う」ことが不安になったり、劣等感を抱いたりするのです。

本能的な「つながりたい」と

社会的な「みんなと同じでありたい」

という2つの力が合わさった、とても人間らしい気持ち です。

 

人との繋がりを絶っていた時期を経ての気持ちの変化にまずは喜ぼう。

そして、親としてできること、週1程度、散歩がてら、担任の先生と顔を合わせるくらいかな。

できることを探りながら、そして、トライアンドエラーを繰り返しながら、何かのきっかけに出会えるといいな。

何も変化がなくても、きっかけに出会えなくても変わろうとする次女に寄り添い、応援できる自分でいたい。