幸せは対人関係の中に入る勇気が持てること。

Audible『アドラーに学ぶ 人はなぜ働くのか 岸見一郎』

平易な言葉で書かれているので、デジタルボイス1.5倍速でも快適に聴けた。

岸見先生の失敗談がデジタルボイスであっさり語られるのもシュールで面白かった。

 

小4から引きこもりの長男(中2)、1年半、家から一歩も出ていない。

いよいよ髪の長さは、肩甲骨辺りまで。

長男には、幸せになってもらいたい。願いはそれだけなのだけど。

「幸せになる」のイメージがつかなかった。

この本を聴き、「対人関係の中に入る勇気を持てるようになる」ことが、「幸せになる」の具体的な姿なのではないかと思った。

 

以下、関連部分。

何のために仕事をするのか?

貢献感を持つため。貢献感を持つと、劣等感が緩和され自分に価値があると感じられる。

自分に価値があると感じられると、対人関係の中に入ってゆく勇気を持てる。幸せは「対人関係の中」にしかない。

 

結局、対人関係の中に入る勇気を持つためには、「自分に価値があると感じられること、貢献感を持てること」といつも通りの結論になるのだけれど。

長男が自分に価値があると感じられるために、自分に何ができるか改めて考えてみた。

長男がいてくれること自体に価値がある。長男が自分の価値を下げると感じることは避けたい。

笑顔で接する。

感謝を伝える。

行動を強要せずに待つ。

長女や次女との比較はしない。

くらいかなぁ。慌てず、焦らず、ぼちぼちと。長男は絶対に大丈夫。だって、誰よりも優しいのだから。

 

 

 

やっぱり好き。アール・ブリュット

ボーダレス・アートセッションinとやま2025

LOVE +PEACE +ART=?

 

造形衝動が爆発している。

大胆で一途でオシャレでかっこいい。

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たまたま美容院に置いてあった婦人画報8月号の表紙も素晴らしかった。

ヘラルボニー契約作家、鈴木広大氏の作品とのこと。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000426.000039365.html

ヘラルボニーは障害者アートをブランド化している会社。兄の自閉症をきっかけに、双子の弟2人が立ち上げた。

https://www.jfc.go.jp/n/findings/kokohito/keieisya024.html

ヘラルボニーの商品、手の届く価格ではないので、購入して応援はできないけれど、応援してます。

理想の旅

メガネを作るとき、店員の方と色々なお話をする。店員の方から「行きたい国はどこですか?」と問われた。

とっさに、「モンゴルです。遊牧民と生活がしたい」と答えた。 

よく考えると、本当はどこでもよかった。

私が旅に求めるものは、絶景やアクティビティではない。

ただただ、異なる環境に身を置き、その地域に浸りたい。

異なる、空気、文化、人、価値観に触れたい。

そして、一見、全く違うように見える異国の人達も根っこは同じ人間だということを確認したい。

確認してどうなるわけではないけれど。

多分、それがしたいのだ。

 

山口周氏が、「今は、役に立つより意味があることに価値が見出される時代だ」と言っていた気がする。

 

異国の人達と根っこは同じ人間だという、当たり前のことを確認することは、一体、自分にとってどんな意味があるのか、今はまだ分からない。

 

今は、意味がわからなくても、意味があるかもしれないと感じる事に時間やエネルギーを使っていけるといいな。

 

センスがないので。

念願の度付きサングラスを作った。

眩しいのがとても苦手だ。

大人になってから気がついた。

そして、眩しさを避けるため、サングラスがあることも。

もちろん、サングラスの存在は知っていたけれど、無駄に自意識過剰な私は、ファッション要素の高いこのアイテム、何を選んで良いかわからない。

なんてったって、センスがないコンプレックスがある。実際にセンスもない。

どうせ、自分の選ぶものは、垢抜けない。

知合いがステキなメガネをかけていて、その購入先が以下だった。

https://yujima.com/

店員の方に、オススメされたものを即決。

プロが選ぶものは間違いない。

センスがない自信があるゆえの即決。

私情が入らない。

プロの力を借りながら、センスがいい人に近づいていけるといいな〜。

 

上手になることが目的ではない

アラフォーから始めた空手。今年で4年目。

中1のN君が私にポソっと一言

「先生って○○さん(私の名前)のこと上手になると思ってないよね。基本以上のこと教えないもん」

鋭い!うすうす気づいていた。うすうすどころか痛いほど気づいていた。自分に空手のセンスがないことに。

そして、先生が教えても伸び代の少ないおばさんに全く興味がないことにも。

センスなんてなくたって、集中力を鍛えるため、精神の鍛錬のために空手をやっているのだと自分に言い聞かせながら空手を続けてきたけれど、

ズバリ言われるとやっぱり傷つく。

 

美容院で見た婦人画報8月号「ウェルビーイング研究者 前田隆司」茶道や武道など「道」のつくものと幸せの関係について解説していた。

「道」は幸せへの道。人間の心と体を鍛錬する道。

心と体を鍛錬する道とは、人は人として向上すべき、人として完成を目指すべき、よりよく、より利他的でより誠実でより心が整った人になる事を目指すもの。行動を丁寧に行うこと、感性を研ぎ澄ます事、心を磨くことが自らが幸せになるための道である。

 

そうっ、それっ!私は自分の幸せのために空手をやっているのです!

上手くなることが目的ではない。めげずにこれからの空手を続けます。

押忍(オス)!

 

不登校とは同治で付き合う

富山県南砺市城端にある織館で朝倉圭一さんの話を聴く機会があった。

その中で出会った言葉

「同治」

対治は、問題を敵とみなし、切り離し、取り除くのに対し、

同治は、問題と共に、問題と寄り添う。宮沢賢治雨ニモマケズの詩のような在り方とのこと。

「問題」部分を「不登校」に置き換えてみる。

対治は、不登校を敵とみなし、切り離し、取り除く

同治は、不登校と共に、不登校と寄り添う。

長女が不登校になってから1年程度は、私は完全に対治のスタンスで対応をしていた。とても辛かったし、どうにもならなかった。

気力も体力も限界だった。おそらく長女も同じだったと思う。

長女の不登校から4年後には長男、その2年後には次女も不登校になった。

同治を意識していたわけではないけれど、私はいつの間にか不登校を敵とみなさなくなっていた。

不登校を当然のものとして、受け入れられるようになっていた。

それが良かったのか悪かったのかはわからないけれど、同治という言葉で表現できる対応の仕方だったのだと気づく。

そして、昨日、小4から中3まで6年間不登校だった長女(高3)は留学のためカナダに飛び立った。

不登校とは「対治ではなく同治で」これからも共に、寄り添いながら日々を送りたい。

 

社会彫刻

Audible 山口周「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」を聴いた。

自慢じゃないけど、私には、生き方の指針がない。

この本の中で、指針になりそうな考え方に出会った。

「社会彫刻」ヨーゼス・ボイス氏

芸術の概念を社会全体に拡張し、誰もが創造的なアプローチで社会に関わることで、社会全体の幸福に貢献できるという考え方。

「誰もが芸術家」誰もが自らの創造性を使って社会に関わることで、芸術家になりうるという考え方。

https://bijutsutecho.com/artwiki/88

この考え方だと、芸術的なことに関わらなくたって、自分の中にあるアーティスト願望を満たせることに気づく。

そして、優先事項がわからず、楽に流れ、重要でないことに時間を割きがちな仕事も

この視点で関われば、迷いが少なく、充実した気持ちになれる気がする。

「より良い社会を作るアーティスト」を生き方の指針にできたらと思う。