コミュニティが苦手と気づく

知人に誘われ、あるコミュニティに参加した。

そのコミュニティの発起人は、小児がんで麻痺のある自分の娘でも参加できるコミュニティを作りたかったからとのこと。

苦しい経験をしてもなお、苦しい経験をしたからこそ前向きに行動をする。

勇気がある。しなやかさがある。

高邁な精神を尊敬する。まぶしい。

 

と言いながらも、そのコミュニティへの2回目の参加はないなと思った。

陽のテンションについていけなかった。

私は、不特定多数の人が参加するコミュニティやイベントは苦手と再認識。

今思うと、マラソンをやめた理由もそこかもしれない。

ラソン大会というテンションの高いイベントについていけない。

ブラインドランナーの伴走といった、誰かの役に立てるのであれば、かろうじて参加はできるのだけど。

勝手に野山を駆け回るのが自分の性分に合っている。

自分に合った方法で、社会への貢献欲求を満たしていけたら良いなと思う。

 

自分のすごさを認めない男

雑穀谷でロッククライミング

冬期間ボルダリングジムに週1回通った甲斐があってか、レベル5.9が何とか登れた(トップではなくリードで。トップロープで登れなければ登れたことにはならないと山岳会の方からは言われているけれど・・)

ビレイをしてくれた男性は、レベル5.11か5.12とのこと。私からしたら、雲の上の存在。

「どうやったらできるようになるのですか?」

と尋ねると、

「高校生の部活のように時間をかければ、センスとかなくても誰でもできるようになる。時間をかけれるかどうかの問題。5.11、5.12を登れることはすごいことでもなんでもない。」

とあっさり。

そ、そうですか。

自分を大きく見せようとする人が多い中、自分を客観視した、このコメントは新鮮だった。

思えば、私から見たすごい人達の中で、自分すごいアピールをしてきた人は誰1人としていない。自分すごいアピールをする人は小者だ。

改めて、わが身をふりかえる。小者ゆえに自分すごいアピールを無意識にしている気がする。

あっ、このブログもその一貫の気がしてきた。

自戒しよう。

以下、クライミングレベル

https://tomyclimbing.com/spclimb_level/

トラウマ級拒絶感

子供が小さい頃は仕事と趣味のトレランでほとんど家にいなかった夫。

なぜか、最近は家にいる。恐ろしいくらい家にいる。子供が大きくなり、人手が不要となった今、家に居てもらっても困るのだけどなと思いつつ、家のローンの返済は夫だから許すしかない。

久しぶりに。一週間、夫が出張で不在だった。もしかして、「居なくなって初めて気づくありがたみ」があるかもしれない。と思っていたけど、そんなものはなかった。家事も子育ても夫がいなくても滞りない。

ただただ、快適で穏やかな生活だった。

子供達にも上機嫌で余裕をもって接することのできた。

快適理由

①夫の不快な生活音を聞かなくていい。

イヤホンでオーディブルを聴いていても聞こえてしまう、様々な不快音。私にとっては夫の声も不快音に入る。

②自分のペースで洗面台を使える。

普段は夫の使わないタイミングに合わせる。

③夫の洗濯物に触れなくていい。

④部屋が汚れにくい。

トラウマレベルに夫を意識しすぎかもしれないと、自分の異常さにも気づく。

実際に、記憶からは消しているけど、トラウマ級のことは何度もあったのだろうなぁ。

子供が大きくなるまで、夫とは生活の動線が交わらないよう工夫しながら、日常を送りたい。

初沢登り

沢登りをしたくて、昨年入会した山岳会。

ようやく、タイミングが合い、沢登りができた。

山岳会の方からは、

・沢は4K(きつい、きたない、きけん、くさい)。

・下山後のザリガニ臭がすごい。

着ていくものは、ダサくても何でもよいから、捨てれるくらいのもので。

と散々忠告を受けていた。

沢靴を買ってしまったけれど、実際やってみたら、沢登りが好きになれないかもしれないな。と覚悟しながら参加したのだけれど。

最高だった。

木々の緑と川の流れる水音、岩、苔、全てが美しくて気持がよい。

水の流れる音を聞きながら、水の中を歩く。

足のつかない所は、水に浮かんで、ロープをたぐって進む。

こんなにも私を楽しくワクワクさせてくれることがあったとは。感無量。ザリガニ臭のマイナスを何倍も打ち消す幸せな時間だった。

最も、山岳会の方が、初心者の私をサポートしてくれたからこそ、快適に沢登りができたのだけど。感謝しかない。

以下、ついて行くことに必死でろくな写真が撮れていないけど、今日行った沢。和田川。

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コルジュにも感動したけど、和田川のコルジュは超入門版とのこと。

 

 

勤続20年

勤続20年表彰の案内がきた。

同期の夫より1年遅れて。

育児休暇を3回とったから。休暇は通算3年。

男性からしたら、1年遅れで表彰を受けれるだけ、ありがたいと思えって感じなのだろうけど。

何だか屈辱。

私は、出世欲があるわけではない。

ただ、一見平等(働いていなかった期間は勤続年数から抜きますよ〜。)な不平等が当たり前のこととして、皆に受け入れていることが腹立たしい。

向かいの席のOB女性に、

「屈辱です。」と漏らしてみたけど、

「仕方ないよね」と全然気にしてない様子。

こんなことで憤っている自分が、ちっちゃい人間and暇人であることは、間違いないのだけど、この些細なことの積み重ねが少しずつ、女性の尊厳を奪っていくのだよ。

そして、年をとったら、マグマのように噴火するのだよ。

職場の評価なんて気にせず、私は自分の働きたいように働き、生きたいように生きていきますと気持ちを新たにした。

 

夫のご飯を作ることをやめました。

Audible『あきらめません!垣谷美雨

私の心の中を言語化してくれているような本だった。

男尊女卑を我慢しながら勤務人生を終え、定年した主人公が予定外に田舎の市議になる話なのだけど。

主人公は前向きに社会変化に取組むのだけれど、

男尊女卑、私は、もううんざり。諦めている。

夫は、他の家庭と比べるとマシな部類なのかもしれない。

とも思うけど、

ワンオペ育児中、夫が「俺は他の家の夫と比べると相当家事を手伝っている!」

と主張してきた時には本当にうんざりした。あきれて会話することも嫌になった。

他の家の夫と比べる理由が不明だし、お互いフルタイムで働きながら、家事と育児の99%は私がしていた。

夫は、子供が生まれてからも、生まれる前と勤務体制を一切変化させることなく、昭和的、熱血勤務を続けた。

何よりも、一番良くなかったのは、専業主婦+亭主関白の家庭で育った私が「家事は妻がやるべきバイアス」から逃れなれなかったことかもしれない。

 

4月、私は異動で職場が遠くなった。これまで、不登校の子どもたちのお昼ご飯を昼時間帰宅して作っていたけれど、それができなくなった。

今は、朝の時間に、子どもたちの昼食と夕飯の準備をしている。

そして、夫のご飯を作ることはやめた。どう考えても大人の分まで私が作る必要はない。大人だから自分でできるでしょう。

この4月、「妻は夫のご飯を作るべきバイアス」を克服した。

 

大福書林からの手紙

「ツバキ文具店 小川糸」

を読み、大福書林からの手紙を思い出した。

購入した本の感想を送ったら、1年間大福のフリーペパーと大福書林代表の瀧さんからのメッセージカードが送られてきた。

営業と分かっていても、自分宛ての直筆メッセージは嬉しい。

送られてくるたびに、何だか温かい気持ちになり、やっぱり手紙っていいなぁとしみじみ。

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会ったこともない人から、いただく温かさ。

そういえば、「ツバキ文具店」の内容も、親族とはうまくいかなくても、近隣の人と仲良く幸せに生きてゆく内容だったっけ。

周囲の人たちからのささやかな優しさや、気の合う人との繋がり。家族がうまくいかなくたって、それだけでも十分生きていけるのかもしれないと思う。