次女、初めて目標を持つ

相変わらず、雨でも雪でも次女との散歩は続いている。会話がないことも多いのだけれど。

今日は突然、

次女「ショベルカーってかっこいいよね。」

と同意を、求めてきた。

私「その視点でショベルカー見たことないわ」

次女「絶対かっこいい!運転したい!目標見つかった!」

と嬉しそう。突然の前向き発言に私も嬉しくなる。

「何もやりたいことがない」と無気力で、1キロも歩くことができなかった1年前と比べると驚くべき進歩。

やりたいことが見つかり、体力もついた。今は1時間歩いても平気。数日前にはスキーにも初挑戦。無事に滑れた。

今日も雪降る中散歩し、締めは公園でブランコ。傘を放り出し、雪も気にせずブランコを漕ぐ次女。

「気持ちいい〜!」

そんな瞬間が次女にあることが嬉しい。

また、あの言葉を思い出す。

何も咲かない寒い日は下は下へと根を伸ばせ。いつか大きな花が咲く。

停滞してるか、後退してるか、前進してるか、

全く見えない子供達。いつか花咲くと信じて、やれることをやる。ただそれだけ。

今日は、花が咲いた日だな。ありがたい。

親冥利につきる。

稲垣えみ子熱が止まらない

Audible 『老人とピアノ 稲垣えみ子』

を聴いた。

53歳からピアノを始めた稲垣さんの奮闘記。

https://jp.yamaha.com/sp/myujin/55346.html

大人になってから始めた習い事に奮闘する中年みんなに読んで欲しいと思った。

私も、中年になってから空手を始めた。

共感できる部分が多くあり、発表会の場面は涙か出た。

以下のような事が書かれていた。

年をとり、できないことが増える中、努力次第で、着実に前進するピアノは希望。

何のためにこんなに真剣にピアノをやっているのか。今更、プロになれるわけでもないのに。

その問いの答えは人間の根源的な部分にあるのではないか。

発表会に出るのは、自分の成長のため。誰かに聞かせるため、自慢するためにピアノをしているわけではない。

正にその通りだと思った。

確かに空手をする中で、黒帯を取ることや大会で勝つことは嬉しいけれど、私が空手をやっている理由はそこではない。

見た人を感動させられるような空手がしたい夢はあるけど、そうはなれないことに薄々気づいている。

ただただ、昨日の自分に出来なかったことができるようになる喜び。

ごくたまーに訪れる、腑に落ちる感覚。

空手をしている時間がただただ幸福。

そして、空手は生きる希望だ。

審査では、緊張し、苦しい、悔しい思いもするのだけれど。

小学生が、簡単に出来ることが、全くできず、恥ずかしい思いもするのだけれど。

そして、あまりにもできない中年に、先生に気を使わせてしまうのだけれど。

そして、黒帯小学生に黒帯に相応しい動きをしてくださいと忠告も受けるのだけれど。

やっぱり空手はやめられないと再認識。

老人とピアノ

クラッシックの知識が増える事も嬉しい。

家事か地獄か

Audible『家事か地獄か』稲垣えみ子

を聴いた。

元、朝日新聞アフロ記者の稲垣氏の退社後の極貧で豊かな生活が語られる。

https://halmek.co.jp/exclusive/c/tips/12342

私がやりたい生き方はこれだと思った。

人生の指針が見つかった感じがした。

今は、勝間式ロジカル家事で便利家電を投入している。これはこれで、タスクの多い日々の助けにはなっているけど、最終的に私が好きな生活ではない。

そもそも、職場での拘束時間が長いことやタスクが多すぎることが問題であることに気づく。

稲垣氏のような、自分で自分の始末をつけれる、環境負荷の少ない生活ができれば自己肯定感が爆上がりするだろうなぁ。

そして、また、おひとりさまで軽やかに輝く女性を見つけてしまった。

私も、おひとりさまで輝く女性になりたい。

初雪

今年初めての雪が降った。

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紅葉と、雪のコントラストが美しい。

写真センスが無くて、この写真からは伝わらないのだけれど。

数年前の大雪で、隣の家とを仕切る壁が倒れる被害があった。

それでも雪が降ると、何だかホッとする。

雪国生まれ、雪国育ちの私は、冬に雪が降らないと何だか落ち着かない。

そして、雪が降ると、「外で何かしなければ」との気持ちから解放される。

貧乏性の私は、天気が良いと、外で何かしないと損をしたような気分になる。

雪が降り、家に籠り、ヌクヌクとお菓子を作る時間は幸せだ。

「白崎茶会 植物生まれのやさしいお菓子 白崎裕子」

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784594086633

サツマイモスコーン 

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形は不恰好だけど、しっとり美味しい。「べにはるか」で作ったからかも。

冬籠もり生活を満喫したい。

「ありがとう」の押し売り

今朝の出来事。

ゴミを捨てに行って帰ってきた私に

夫「ゴミ捨てありがとう」

私「はい」

その声が聞こえなかったらしく、

もう一度大きい声で

夫「ゴミ捨てありがとう」

と言ってきた。

あー朝から。モヤっとする。

事務的な「ありがとう」に私は疲れている。

正直、「ありがとう」なんて今更いらない。

ましてや、語気を強めた怒りながらの「ありがとう」なんてない方がましだ。

夫は、教科書的に今も「ありがとう」を潤滑油だと信じ、それを受け入れることを強要してくる。

『ごめん、あなたの「ありがとう」私は嬉しくないんだわ。』正直に言えばよいのか。

職場の新人くんの寿通信にほっこりしながらも、結婚20周年の我が家。

すさみレベルが高い。自分、夫、おっつー。

 

傷つけ傷つく

またやってしまった。

自分の不意な一言で次女を傷つけることを。

ここ数週間、ほぼ毎日、次女は散歩に行っている。

雨の日も、風の日も。30分〜60分。

外の空気が気持ちがいい。新しい道を歩くのがワクワクするとのこと。

体を動かすのはいいことだし、次女の歩きたいという前向きな気持ちも嬉しい。

問題は2つ。私は、人のペースに合わせて歩くことが苦手なこと。そして、自分の時間が奪われることにも疲れてきたこと。

今日、一緒に歩いていた時、不意に次女に

「歩くペースがちょっと遅い」

と言ってしまった。次女は

「気持ちが萎えた」と言い、

そのまま、家へ帰った。

私は相変わらず、自分優先で、未熟で途上。

マザーテレサのように愛に溢れる人に憧れながらも、自分の子ですら、愛が不十分。

むしろ、自分の子だからこそ、気遣いのない、本能剥き出しの自分が現れてしまうのかもしれない。

そんな、未熟な自分を再認識して、落ち込み、傷つく。

神々の山嶺」の最後の文章に、

「歩き続けている途中で死は訪れる。死んだ時に何の途上であったのか、そのことこそが重要。」

未熟な自分でも、歩き続けるしかない。少しでもマシな人になることを目指して。

 

神々の山嶺 納得できる生き方とは?

Audible『神々の山嶺(かみがみのいただき) 

夢枕 獏』を聴いた。

謎に包まれていたものが、次第に明らかになってゆくワクワク感。

ヒマラヤに登るってそうゆうこと?!そんなに大変なことだったんだ!との単純な驚きと好奇心。

そして、主人公、羽生丈二の全てを捨ててでも自分の納得する生き方を貫こうとする真摯な姿勢。

一気に聴いた。

自分の人生を懸けて誰もやっていないことに挑戦する。それが、羽生丈二の生き方。

私には羽生丈二のように人生を懸けたいものは見つかっていないし、羽生丈二のような生き方をしたいとも思わない。

ただ、「自分の納得できる生き方をしたい。」とゆう、羽生丈二の思いには共感ができた。

自分の納得できる生き方は、一体どんなものなのか?

少なくとも他者基準ではない生き方だろう。

自分の心が動くものに集中、動かないものは削ぎ落とす。その、試行錯誤の中で、納得する生き方を見つけていけるといいな。

ライミングを始めた私に、この本をオススメしてくれた、本好きの空手家に感謝。本好きの人が紹介してくれる本は間違いない。