土人形の師匠が作った
巳年バージョンの「蛇の目土鈴」
ふるとカラカラと素朴でかわいい音がする。
土鈴の上に蛇が乗っていて、何ともユーモラス。たまらない。
「芹沢銈介卓上カレンダー」
昭和21年から約60年作られてきたけれど、今年が最後。寂しい。1月1月を味わいながら飾りたい。
先日、初めて目に障害がある方の伴走者としてフルマラソンを走った。
9月からほぼ毎週一緒に練習をしていたので、走るリズムに問題はなかった。
ただ、想定外のことは、人の壁があり、前に進めないこと。自分1人で走っているのであれば、人の壁を避けたり、ペースを緩めることができる。
今回はそれが簡単にはできない。
「通ります、開けてください、ありがとうございます」の連続。
最初、その声がけを躊躇し、人を避けようとしたため、一緒に走っているブラインドランナーには走りづらい思いをさせてしまった。
私にとってその声がけは勇気のいることだった。周囲の人にお願いすることに慣れていない。相手に動いてもらわなくて済むように自己解決することに慣れてしまっていた。
相手にお願いしなくても事を進めることができる現在の自分への感謝の気持ちと、相手にお願いしないと事が進まない障害を持った方の大変さが身にしみた。
弱い部分があるにも関わらず、強くなければいけない。
弱い部分があるからこそ、強くなければいけない。
私にとってのよい学びだった。
夕方、次女(小4)と散歩していると、
次女「私うつ病かもしれない」
私「何で?」
次女「‥やっぱり言うのやめる」
私「‥」
次女「生まれてきてよかったのか不安になる」
といって泣いた。
私「それ、お母さんも一緒」
次女「えっ、そうなの?話してみてよかった」
今思うと、『〇〇(次女の名前)がいてくれてお母さんは幸せだ。生まれてきてくれてありがとう』が模範解答だったかもしれないけれど。
とっさのことで、本音がでてしまった。
私自身も、長女の不登校以来「生きていて良いのか」の問いとは一心同体。
「そんな自分を肯定したい、生きている後ろめたさを解消したい」が行動の原動力になっている気もする。
大人は、そのようなネガティブな問いを生きる原動力に変換できるけれども、小4でそのような問いをもってしまった次女、辛いだろうに。
いつか、それが生きる原動力になる日が来ることを祈りつつ見守りたい。
技術士総監部門。不合格。
筆記試験で不合格。面接まで至りませんでした。
技術士総監部門。業務独占資格ではない。取得したところで何かできるようになる訳ではない。
自分がこの資格をとる動機を再確認してみた。
・何もできない自分だからこそ資格で武装がしたい。浮き輪が欲しい。(今だに他者基準の物差しが捨てきれていない。)
・単純に新しいことを学ぶのが楽しい。
・資格を取る過程で、新しい枠組みで物事を捉えられるようになるかもしれない好奇心。
・具体的な目標がある方が生きやすい。自分を不安にさせること(引きこもりの子供達の将来)を考えすぎずに済む。
そもそも、そんな緩い動機しかないから不合格なのかもしれない。
それでもいい。今を楽しく、生きやすくするには短期的な具体的な目標が必要なのだから。
さて、怠けていた復元論文の作成から始めよう。
夫との離婚や死別、自身の挫折や葛藤など苦しい経験が人生とスパイスとなって輝いている女性の短編ドキュメント。
どの女性も皆それぞれに素敵で、希望や勇気をもらえる。
自分と重なる経験がある女性には、特に共感からの励ましをもらえる。
エール株式会社取締役 篠田真貴子氏
https://m.youtube.com/watch?v=Bnd4wuZ1YQ0
会社での挫折と、こなすだけで子育てを楽しめない自分を不合格と思い続けてきた11年間。
私は、篠田氏のようなキャリアウーマンではないけれど、組織で働きながら子育てをしてきたという共通点から、共感ができた。そして、こんな自分でも良いのかもしれないと勇気をもらえた。
子供3人の不登校、この苦い経験が人生のスパイスとなり、共感できる人に勇気を与える側になれるといいな。
映画「ゆ」の監督、平井敦士氏と話す機会があった。
https://doors-toyama.jp/news-columns/1263/
最近、土鍋でご飯を炊き始め、これまで、作業だった事(スイッチを押すだけ)が味わう時間になった。食べるものも変化し、生活全体が変化した気がする。
映画「ゆ」も同じことを表現したかった。
風呂に入る作業を銭湯へ行くことで味わう時間に変化させている。
とのこと。
味わう時間を増やしていきたいものですね。と合槌を打ちつつ、
勝間和代のロジカル家事の信者で、全自動調理器、床拭きロボットなど、効率化されたわが家の日常を思い出していた。時間を味わう要素なんてない。
でも、味わう時間を増やしたい気持ちも嘘ではない。土鍋でご飯やゆったり銭湯にも憧れる。
この矛盾は何なのだろう。
味わう時間を獲得するために、味わう必要がないと判断した作業を効率化しているのかもしれない。
一体、私はどんな時間を味わいたいのか?
改めて考えてみたいと思った。