こんなに幸せな日がくるなんて思わなかった

『「こんなに幸せな日がくるなんて思わなかった」と、言える日がきっとくるから大丈夫』

今、フルマラソン完走に向けて、一緒に練習をしているブラインドランナーからの言葉。

素敵なオーラをまとったその女性は、明るく溌剌としていて、一緒にいると元気をもらえる。

その女性は、お子さんの不登校を経験後、自身も、病気で目が見えなくなり、落ち込んで3年間家に引きこもっていたとのこと。

不登校の娘から「目が見えなくても、お母さんはお母さんでしょっ」と言われたことをきっかけに徐々に立ち直ったとのこと。

そんな女性からの

『こんなに幸せな日がくるなんて思わなかったと、言える日がきっとくるから大丈夫』

の言葉は説得力がある。「今は想像つかないかもしれないけど大丈夫だから。」と励まされる。

同じ経験がある(どころか、自身の失明という、負荷の高い経験をしておられる)方からの言葉は本当にありがたい。勇気づけられる。自分もいつか、勇気づける側に行けるといいな。

うしろめたさの解消

昼、家に帰り、不登校の子供達の昼食を作るようになり、一年くらい経ったか。

同僚とのランチ等、昼時間の予定は全てキャンセル。(もともと昼ごはんを食べていないからもあるけれど)

ランチを断る際、正直に、「不登校の子供達のご飯を作りに家に帰りたいので」と伝えると、大抵、「大変ですね」、「甘やかしすぎ」、「偉いですね」などのコメントが返ってくる。

その度に何だかモヤモヤしていた。

そのどれもが何だか違う。。

大変でも、甘やかしでも、偉くもない。

その答えが「うしろめたさの人類学 松村圭一郎」の中に見つかった。

『「うしろめたさ」という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。』とあった。

私の過去には、子供より仕事を優先してきたうしろめたさがある。そして、それが、引き金となり子供達3人全員が不登校になってしまったうしろめたさがある。不公平に時間配分をしてきた過去とのバランスをとるために、公平さを取り戻すために、私はお昼ご飯を作りに毎日家に帰っているのだと気づく。

昼ごはんを作りに帰るのは、単に自分の「うしろめたさ」を解消するため。

大変でも、甘やかしでも、偉くもない。

ブラインドラン伴走初オファー

ブラインドランの練習会で、何度か伴走をさせてもらっているK氏。走りながら色々話をする。

K氏「目が見えなくなったのは脳に腫瘍ができたから。15年前くらいだったかな。腫瘍は取ったのだけど、今年の1月、脳に電流が流れすぎたらしく、私は目を覚まさなかった。驚いた家内が、救急車を呼び、また脳の緊急手術をした。あの時、夢の中では目を覚ましていて、そこは真っ暗だった。死ぬってこういうことかって、後から思ったんだよね。」

私「・・・(長い沈黙)何も言えないです。」

K氏「J-WALKで何も言えなくてって歌あったよね。大阪までコンサート見に行ったよ。」

明るく会話を続けるK氏。

何て力強いのだろう。

そして、日々を楽しむこと、1日1日を充実させることへの誠実さ、真剣さが圧倒的。

私が意識しないとできない、「今、ここに集中する」を死と対峙した経験のある人は当たり前にできるのかもしれない。

そこに、私は敬意をいだくのかもしれない。

K氏「3月に10kmマラソン大会に出場したいのだけど、一緒に走ってくれる?」

私「もちろん」

5月からブラインドランの練習会に参加してきて初オファー。

この日、別の方からフルマラソンを一緒に走って欲しいとのオファーがきた。

逆境を経験してもなお前向きに生きる人を私は応援したい。こんな自分でも誰かの役に立てることが嬉しい。

想像力を働かせながら、伴走のプロを目指したい。

否定も肯定もせず修正しながら育ててゆく

NHKの番組「 こころの時代ライブラリー かわいい民藝 救いの美」に出演されていた大福寺住職 太田浩史氏。

直接お会いする機会があったので、以下の内容の手紙を渡した。

自分がなぜ民藝に惹かれるのかの問いの答えが、番組での太田さんの言葉から気づかせてもらいました。

・自分に穏やかなモノへの憧れがあるから。

・民藝品は不二(2つに分けることをやめること)になれない自分に不二を思い出させてくれるから。

私事ですが、3人の子供のうち、現在2人が不登校で家に引きこもっています。

つい、学校に行ける、行けないの2つに分けて考えてしまいがちです。

太田さんの話しから、

物事を2つに分けて考えるとバランスを崩しやすいこと。

物事を2つに分ける以前の状態になることが必要であることを知りました。

自分にとって民藝品は、不ニを思い出すためのツールの一つの気がします。

民藝品に触れることで、不二を思い出し、心穏やかに日々を過ごせたらと思いました。

この手紙に対しての太田さんの言葉(不登校の子供達の育て方に関してのコメント)

「否定も肯定もせず修正しながら育ててゆく」

どのように修正したらよいのかを尋ねると、急激に変化を起こすのではなく自然に任せるとのことだった。

思えば、否定も肯定もしない心の持ち方、あまりやったことがない。たいてい自分の中で「良い、悪い」、「好き、嫌い」、「あり、なし」を瞬時にジャッジしている。

否定も肯定もしない波風のない静かな心を持ちたいと思った。

没頭できる何かが見つかりますように

映画「風の島」を観た感想(備忘録)

陶芸家大嶺實清氏を撮影した記録映画。 新城島(あらぐすく)の自然と、大嶺實清氏の制作風景、パナリ焼きについての映像。

以下、大嶺氏に関連するサイト。

https://cooan-g.com/oomine-koubou/

大嶺氏の言葉

新城島の土は大人しい。

(土を人のように扱っている)

・島があって土器がある。島の風土の根差した土器(島と土への愛情が伝わってくる)

・土器はやさしく地球に戻ってくれるから自由自在に作れる。

・パナリ焼きの再現という言い方は、おこがましい。近づきたいと言った方が近いかな。

(謙虚な姿勢)

この映画を見るまで、大嶺氏の存在も知らなかったけれど、こんなに楽しそうに土と触れ合い、島と土と土器を愛し、追求する人がいるとは新鮮だった。

活き活きと楽しそうに、土器を作る大嶺氏を見ていると、愛する対象があること、没頭できる何かがあることは幸せなことだなと改めて思った。

一方、本能のままやりたい放題、手当たり次第、一体何をやりたいのか、どうなりたいのか迷走気味の自分。

没頭できる何かが自分にも見つかりますように。

普通って何?

上海から帰ってきてから、「普通って何?」の問いがグルグル回っている。

だって、飛行機で2時間30分移動しただけで、日本で普通だと思っていたことが普通じゃなかったのだもの。

特に、中国人の雰囲気が日本人と異なると感じた。中国人は周りの視線や自分の服装をそれほど気にしていないように感じた(あくまでの個人的な感想)。

長女も同感だったらしく、日本人て周りを気にしすぎかもね。とか、ルッキズム(外見重視主義)なのかもねと言っていた。

「普通」は相対的なもので、自分がどこに身を置くかで「普通」は異なる。安易に「普通」に流れるのではなく、結局は自分がどうしたいかが大切なのだなと月並みなことが腹落ちした。

私は長女に「これまで、普通になりたいと思ってきたけど、普通を気にしないことにする」と言った。

長女「ママは普通になって!道着で夕飯食べてるの明らかに普通じゃないでしょっ」とのこと。

あーそうか。普通第一主義で生きているつもりだったけど、既に普通の枠外にいたのかもしれない。

不登校だった長女がたくましくなったよ

上海旅行。

ツアー旅行は私も長女も性分に合わないので、航空券とホテルだけ予約した。

しかし、長女(高2 小4〜中3 不登校)が一緒じゃなかったら、成立しなかったと思われる。

上海、基本現金は使えない。

買い物や地下鉄はAlipay

路線検索には、中国の検索アプリ。

観光地での注意書き等はGoogle翻訳で。

長女の指示を受け、それらのアプリをインストール。

長女は、2ヶ月間留学をしていたので外国人に動じず、英語で意思疎通ができる。

対する私は、外国人を目の前にするだけで緊張し、言葉なんて出てこない。

不登校になって数年は、ほぼ寝たきりで昼夜逆転。中学になっても生活リズムは整わず、登校できなかった。体力がなく、予定をドタキャンすることも多かった。そんな暗黒の日々から、今の長女がどうして想像できただろう。

たくましくなった長女を誇りに思う。

そして、現在、絶賛暗黒中の長男、次女。

長女との共通点は不登校だけで、異なる個性をもつ。

長女のように、たくましくなる日が来ることを願いつつも、そのようになれない、長男、次女も受け入れる覚悟をしなが、肩の力を抜いて日々を送りたい。