普通って何?

上海から帰ってきてから、「普通って何?」の問いがグルグル回っている。

だって、飛行機で2時間30分移動しただけで、日本で普通だと思っていたことが普通じゃなかったのだもの。

特に、中国人の雰囲気が日本人と異なると感じた。中国人は周りの視線や自分の服装をそれほど気にしていないように感じた(あくまでの個人的な感想)。

長女も同感だったらしく、日本人て周りを気にしすぎかもね。とか、ルッキズム(外見重視主義)なのかもねと言っていた。

「普通」は相対的なもので、自分がどこに身を置くかで「普通」は異なる。安易に「普通」に流れるのではなく、結局は自分がどうしたいかが大切なのだなと月並みなことが腹落ちした。

私は長女に「これまで、普通になりたいと思ってきたけど、普通を気にしないことにする」と言った。

長女「ママは普通になって!道着で夕飯食べてるの明らかに普通じゃないでしょっ」とのこと。

あーそうか。普通第一主義で生きているつもりだったけど、既に普通の枠外にいたのかもしれない。

不登校だった長女がたくましくなったよ

上海旅行。

ツアー旅行は私も長女も性分に合わないので、航空券とホテルだけ予約した。

しかし、長女(高2 小4〜中3 不登校)が一緒じゃなかったら、成立しなかったと思われる。

上海、基本現金は使えない。

買い物や地下鉄はAlipay

路線検索には、中国の検索アプリ。

観光地での注意書き等はGoogle翻訳で。

長女の指示を受け、それらのアプリをインストール。

長女は、2ヶ月間留学をしていたので外国人に動じず、英語で意思疎通ができる。

対する私は、外国人を目の前にするだけで緊張し、言葉なんて出てこない。

不登校になって数年は、ほぼ寝たきりで昼夜逆転。中学になっても生活リズムは整わず、登校できなかった。体力がなく、予定をドタキャンすることも多かった。そんな暗黒の日々から、今の長女がどうして想像できただろう。

たくましくなった長女を誇りに思う。

そして、現在、絶賛暗黒中の長男、次女。

長女との共通点は不登校だけで、異なる個性をもつ。

長女のように、たくましくなる日が来ることを願いつつも、そのようになれない、長男、次女も受け入れる覚悟をしなが、肩の力を抜いて日々を送りたい。

子供が不登校だから自由時間が多いです。

明日から小学校は、新学期らしい。

空手でのお母さん方の会話で気がついた。

私は、明日から長女(高2 小4から6年間不登校)と海外旅行へ。

もし、長男、次女が学校へ行っていたら、ありえなかったスケジュール。夏休みの宿題と新学期準備に追われて海外旅行どころではなかっただろう。

私には、小、中学校のスケジュールに煩わされない自由がある。

不登校だからこそできる自由もある。

ある時、子の不登校のことを聞かれた時、

「子供が不登校だから自由時間が多いです。」

と、答えた。

「超、前向きだね〜!」

と大笑いされた。

つられて私も、笑ってしまった。

私って、もしかして、前向きなのかもと思った。いつの間にか、太めのネジが外れてしまったのかもしれない。

心動くもの探し

富山県立山町の雑穀谷(自然のロッククライミングエリア)で懸垂下降を習った。

沢登りをしたいと思い、山岳会の集会に参加したところ、最低、懸垂下降ができないと沢には行けないとのことで、教えていただくことになった。

垂直の岩を登り、足元を見ると、高い。恐ろしすぎる。落ちたら死ぬ。

周囲にはクライマーがたくさんいて、山岳会のメンバーは顔見知りの様子。

こんな、恐ろしいことをなぜやっているのか不思議に思い、クライマー達に聞いてみた。

・山を登るために必要な技術だったから。

(山岳会のメンバーは登山道を歩くことはハイキング、登山道のない山を登ることが登山らしい。)

・スリルと緊張感が好きだから。

理由は人それぞれ。

私がクライミングをする理由は、沢登りをしたいから。なのだけど、山岳会の方から、沢は3K(きつい、汚い、危険)だけど、大丈夫か?と問われた。

えっ!渓谷美を味わいながら、水と戯れる天国だと思っていたのだけど。違うらしい。

まあ、やってみなければ分からない。

自分の心動くものは何なのか、色々体験をしながら見極めていきたい。

内向的な自分を肯定できる本

Audible『「ひとりが好きな人」の上手な生き方

ティボムリス』を聴いた。

これまで、外交的になろうとがんばり過ぎてきたせいで、自分が内向的な性格であるとの自覚もなかったのだけど。

この本を聴き、自分が内向型だと自覚した。

生理的に以下のものが苦手だ。

①ディズニーランド

②大きい音や声

③ホラー映画

④強い光や臭い

大学時代は、ディズニーランドを楽しめない自分に罪悪感を抱いていたし、職場で大きい声で話す人を嫌悪する自分を神経質過ぎると思っていた。

要するに刺激の強いものが苦手なのだけど、それは決して異常なことではない。

外界からの刺激を必要としない内向的な性質を持っているだけだと分かった。

外交型の人と内向型の人は優勢な神経伝達物質が異なり、外交型の人はドーパミン(交感神経)、内向方の人はアセチルコリン(副交換神経)とのこと。科学的な根拠もあると分かると、より納得できた。

詳しくは以下。↓

https://news.goo.ne.jp/article/phpbiz/life/phpbiz-20231017095853259.html#

また、長時間他人と過ごすと、エネルギーチャージに1人の時間が必要なことを自覚している。

そして、3人のワンオペ育児中、ノイローゼ気味になったのは、1人時間を確保できなかったからだと今更気づく。

もっと、工夫して1人時間を確保すべきだったのだろう。

本書には、内向型として快適に過ごすコツか紹介されていた。以下、自分の心に残ったもの。

・誰とどれくらい話すかを慎重に決める

・自分のエネルギーの管理に責任をもつ

・興味のない誘いを断ることは自分を大切にしている証である。(誘いを断る自分を後ろめたく思わない。)

内向型の自分を否定せず、内向型の自分が快適な時間の使い方を探りながら快適に日々を送りたいなと思う。

仙人のような人になりたい

富岡鉄斎展へ行った。

絵の中に描かれる仙人達が楽しげ。そして、鉄斎自身も仙人のような風貌。

展示されているたくさんの印章は、どれも素朴で味があってかっこいい。

文人でもあった鉄斎の言葉もよい。

・胸中の塵濁を脱去するために旅をする。

・老而益学(老いて益々学ぶ)

・万巻の書を読み、万里の路を行く

(絵を描くものが心がける目標)

展示会に行くまで名前も知らなかったけれど、一気にファンになった。

そして、自分は仙人のような人に憧れているのかもしれないと気づいた。

「空手の達人を目指していること、ワラジで山を走っていること、沢登りをしたいこと、質素で素朴なものが好きなこと、筆で手紙を書くこと、質素な食事や山の生活に憧れていること」

上記は、自分の衝動にままにやってしまっていることや、憧れていること。なぜそんなことをしているのか自分でも分からなかった。

鉄斎展のおかげで、自分の行動の意味(仙人のような人になりたい)が分かってスッキリ。

なぜ仙人に憧れてしまうのかは謎なのだけれど。