仙人のような人になりたい

富岡鉄斎展へ行った。

絵の中に描かれる仙人達が楽しげ。そして、鉄斎自身も仙人のような風貌。

展示されているたくさんの印章は、どれも素朴で味があってかっこいい。

文人でもあった鉄斎の言葉もよい。

・胸中の塵濁を脱去するために旅をする。

・老而益学(老いて益々学ぶ)

・万巻の書を読み、万里の路を行く

(絵を描くものが心がける目標)

展示会に行くまで名前も知らなかったけれど、一気にファンになった。

そして、自分は仙人のような人に憧れているのかもしれないと気づいた。

「空手の達人を目指していること、ワラジで山を走っていること、沢登りをしたいこと、質素で素朴なものが好きなこと、筆で手紙を書くこと、質素な食事や山の生活に憧れていること」

上記は、自分の衝動にままにやってしまっていることや、憧れていること。なぜそんなことをしているのか自分でも分からなかった。

鉄斎展のおかげで、自分の行動の意味(仙人のような人になりたい)が分かってスッキリ。

なぜ仙人に憧れてしまうのかは謎なのだけれど。

いつまでたっても慣れないこと

いつまでたっても慣れないこと。それは、「自分の段取り通りに事が進まないこと(特に子供の通院)」

先日、長男が風呂上がり後、靴下を履いていた。

暑いのにどうして靴下を履いているかを尋ねると、足の裏が痛いとのこと。

足の裏を見ると、両足ともにたくさんのイボができていた。

イボは放っておいても治らない。病院での治療が必要。と長男に説明し病院へ行くことに。

生活リズムが不安定な不登校の子を病院に連れて行くことはハードルが高い。

現在の生活リズムからすると、行けるのは午前だな。そして自分の仕事が休めるタイミングはこの日だな。と目星をつける。そして、その日時を長男にも納得をしてもらう。

にも関わらず、病院へ行く日の夜中2時、長男はまだ起きている。これでは、午前の病院行けない可能性がある。焦る私。

「明日の午前は、病院に行くことに決めているのだから、寝ていても起こすよ。」と伝えた。

そして、寝ている長男を無理矢理起こして病院へ。

長女(小4から6年間不登校)の頃から、時間を守れない裏切り行為を何度も受けてきて、その度に腹を立ててきた。

『いつか、慣れるかもしれない。まあ、そう言う事もあるよね。仕方ないよねとおおらかに受け流せる自分に憧れてきた。』しかし、やっぱり無理でした。今回の件で再確認。

未熟者は未熟者のままでした。2〜3週間後に再度受診が必要。今から、長男は予定通りに行けるかどうか、そして、心穏やかにこのイベントを乗り越えられるかどうかが私の課題。

近くて遠い国

国際情勢や歴史、全く不勉強だけど、中国って日本が嫌いなのかもと思った。

娘と上海旅行に行くために、航空券とホテルを予約した。

その後、入国にはビザが必要と知った。

これは、マズイ。ビザの取り方が全く分からない。

中国ビザ申請センターに問合せると、個人で取得する場合、富山だと名古屋に行く必要がある。それが、無理なら代理店もありますとのこと。

「名古屋は無理」と思い、代理店にお願いすることにした。代理店にお願いするにしても、揃える書類、写真の厳しさがパスポートの比ではない。

写真サイズは48mm×33mm証明写真にはないサイズ。

写真屋に行くと、中国ビザの写真は厳しいですからね。と手慣れた様子。完全耳だし、おでこ出し、地味な色のカーディガンを羽織らされて撮影。

もはや、私ではない。別人だ。

もう、ビザが取れるなら何でもいい。

代理手数料は1人22,000円なり。娘と2人で約5万円。高すぎる。代理店は中国の旅行会社なので、これは中国の利益になるのだなと思った。

もう、ビザが取れるなら何でもいい。

ただ、「海外の空気が吸いたい。」「富山からの直行便がある」だけの理由で、決めた海外旅行。

社会勉強と自分に言い聞かせつつも、航空券を購入したにも関わらず、「ビザが間に合わなければ入国できない」の恐怖は精神的によくない。

先のことを考えることが苦手で直感・衝動で行動しがちな自分の性格を自覚はしているのだけど、今回ばかりは反省。

中国、日本人に入国して欲しくなかったんだね。知らなかったよ。

 

 

生きて、生きて、生きろ。

映画「生きて、生きて、生きろ。」

監督 島田 陽磨  を観た。

http://ikiro.ndn-news.co.jp/

東日本大震災後、心的外傷やアルコール依存になった方を支える医師、看護師のドキュメンタリー。

私は、「消えたい」と生きる意欲を失った方に力強く向きあう看護師の米倉さんの優しさとエネルギーに心を打たれた。

上映後、監督に、米倉さんのエネルギー源を尋ねてみた。

詳しい経緯は分からないけど、プロフェッショナルとして、自分自身をコントロールしておられるとのこと。

仕事で人と会う分、休日は1人で過ごし、運動や木工細工に没頭。

病んでいる方と接していると、介護側も病んでしまうことがあるので注意が必要。心理カウンセラーの方向けのカウンセリングがあるくらい。

家族だと共依存になる場合もあるとゆう。

病んでいる方と接するプロもバランスをとるために1人時間を大事にしている。

私が無性に1人になりたくなるのも、バランスをとるためなのかもしれない。

「生きて、生きて、生きろ。」私が引きこもりの長男に対して抱くメッセージ。

そして、油断すると、不登校の子供達の負のオーラに巻き込まれそうになる自分に対してのメッセージでもあると思った。

丁寧に答えてくださった島田監督ありがとうございました。

 

力を抜く事

先日、初めてボルダリングをした。

またしても、四十の手習い。

以下、ベテランの方からのアドバイス

・足は母指球に力を入れる。

・壁と腰はできるだけ離さない。

・膝は基本、伸ばしておく。体は基本脱力。

・移動する時だけ力を入れる。緩急をつける。

私は、腕の力や柔軟性には多少自信があった。しかし、そんなことを気にできるレベルではなかった。

そもそも、身体の使い方、体重移動の仕方、力の抜き方が分からない。

またしても、ぶざまな姿を思いっきりさらしてしまった。

それにしても、ボルタリングまで体の力を抜く事が大事だったとは。空手や水泳と一緒だ。

万物全てそうなのかもという気がしてきた。力を抜かないと力が出せない。次の1歩を踏み出せない。

力を抜く達人になれれば、空手も水泳もボルダリングも人生もしなやかに熟達していける気がした。

もちろん、「言うは易く行うは難し」なのだけれども。

たたずまいの良い本

串田孫一「ひとり旅」

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最近知り合った方からお勧めされた本。

古い本で図書館での蔵書の中にも見当たらなかったので古本で購入。

包みを開けた瞬間、味のあるデザインと色に惹かれた。

電子レンジの横に、「ひとり旅」とペルーの民芸品の置物と並べると、そこだけ、うっとりする空間になった。

串田孫一の旅の記録。

のびのびとした旅先でのスケッチと旅を回想した文章。

「ひとり旅」私も好きなので、共感できる文章にいくつか出会う。

「私の旅は寂しいものでなければならない。行く先々で心細くなるような、そういう旅を続けなければならない。そして旅が終わっても、適度の心細さがいつまでも私の周囲にひろがり漂っているように。」

「紅葉も、落葉も、定められた営みを厳然と行っているために美しい。」

「人に案内される旅は御免を蒙る。人を案内する旅もお断りしたい。行きたいところへ行けなければ旅にはならない。同じように、お膳立てのすっかり出来ている旅も、私の旅ではない。」

あ〜ひとり旅へ行きたい。

不完全さを受け入れる勇気

空手の組手の練習会に参加した。

講師は、嶋田さらら選手(全日本ナショナルチーム

「一流の方から学べる機会」と、貪欲に参加したけれど、参加者は小学生〜高校生。初心者の大人は私だけ。自分、ナイストライ!。

そして、下手すぎる大人が相手になり、気を使わせてしまった、子供達ごめんなさい。

さらら選手の説明は、簡潔で分かりやすい。そして、見本でやって見せてくれる体の動きが、本当に美しい。同じ人間だとは思えない。

最後のさらら選手からのメッセージも印象に残った。

「これから大事にして欲しいこと。試合で、新しい技にチャレンジすること。普段の練習とは違う、緊張感のある場面でチャレンジすることに意味がある。失敗しても良いからやってみる。」

ふと、試合どころか、練習ですらも新しい技にチャレンジできていない自分に気づく。

失敗したらどうしよう。かっこ悪い。と、ためらいがある。

冷静に考えると、かっこ悪いなんて今更だし、(40で空手を始めた段階で、かっこ悪い姿をさらしつづけてきた)誰もおばさんが、上手にできるとは思っていない。どころか、誰もおばさんに関心なんてない。自意識過剰にも程がある。

岸見一郎も高齢になってからの趣味を充実させるコツは「不完全さを受け入れる勇気」と言っていたではないか。

改めて気づいてしまった。自分の捨てきれていなかった勘違いのプライドと不完全さを受け入れる勇気がないことに。

次回の練習からは、失敗したって、かっこ悪くたっていいから、思いっきりチャレンジしたい。