いつでも堂々と

最近出会った好きなもの。

①安江八幡宮(石川県金沢市

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②ジャリおじさん(大竹伸朗

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=615

2つの共通点

・何か、ちょっと変。

・変なのに、堂々としている。恥ずかしがっていない。

堂々とした姿が、自称小心者の私を勇気づけてくれる。

3年間部屋に引きこもっていた長男。

3月14日に肩まであった髪を切り、中学の入学式に出席したいと言う。

何年も人と会わずに過ごしてきて、急に大勢の中に入るのだから、もちろん、1番緊張しているのは長男だろうけれど、私も緊張している。

なんせ、入学式は、堂々と、動揺せずに、冷静に。と自分に言い聞かせる。

接種券たち少々お待ちを

長女宛に市役所から

「HPVワクチンの接種を逃した方に接種の機会を提供します」の案内がきた。

長女が不登校だった頃、予防接種はハードルが高かった。生活リズムが日によってまちまちだし、気分が乗る日、乗らない日もある。

予約した時間を守るということが難しい長女にとって、予約しないと受けられない予防接種はハードルが高かった。

それが理由で、予防接種を受けてこなかった。予防接種は親の義務と思い込んでいる私にとっては罪悪感満載だったのだけれど。

昨年から、県外で暮らす高1の長女。市役所からの案内を伝えると、今度帰省するタイミングで接種するとのこと。今は、予約に合わせて行動ができるようになった。アルバイトも一年近く続いている。不登校の頃、時間に合わせた行動ができなかったのは、長女がそういう人だったのではなく、その時は、そういう人だっただけだと気づく。

わが家で使ってもらえる日を待つ、長男と次女の接種券たち。少々お待ちを。時期がくれば接種できる日がくるから。焦らず、待っていてください。

今日ぐらいは涙腺解禁

昨日は長男の小学校卒業式。

卒業証書を親が取りに行くだけなので、通常運転。

最近、日中起きている生活にシフトしてきた長男だったが、昨日は夕方まで寝ていた。

仕事中、「卒業式何がめでたい?」の問いがグルグルして集中できない。

ようやく、「命を落とさず、節目の日を迎えられたことはめでたいことなのだろう」と勝手な結論で納得した気になった。

家に帰ると、家の前に小さな花束が置かれていた。メッセージカードには「◯◯君、卒業おめでとう。また一緒に遊ぼうね。◯◯より」

と書かれていた。

長男の友達からだった。

学校に行けなくなり3年近く経つのに、今も気にかけてくれる友達。

長男の存在を肯定してくれている。

嬉しかった。

そして、そのような友達と一緒に卒業式を迎えられなかったことは、やっぱり切なくて悲しい。

色々な人生、生き方がある。学校に行けないくらい大したことはないと自分に言い聞かせながら日々を過ごしてきたけれど。

やっぱり、みんなと同じように卒業式ができたら嬉しかったな。

私の、「みんなと一緒」の呪縛は強すぎる。

というのは、後づけの理由で、とにかくも、理由が整理できないまま涙が止まらなかった。

もうどうしようもない。卒業式だし。

涙腺解禁!

菓子作り衝動

私は、「子供達は手作りお菓子より、じゃがりこのたらこ味が好き」なこと、「中年女性には糖や油はそれほど必要ない」こと、「気軽に手作りお菓子をプレゼントできる友達がいない」ことを自覚している。

しかし、この本を見て作らずにはいられなくなった。

『素朴でおいしいまいにちマフィン 宮野真知子』

一時期流行った、卵、白砂糖、乳製品を使わないマフィン。何かで、それなのにしっとり美味しいと紹介されていた。

基本的に材料に「絹どうふ」と「酢」が入る。

こんな材料で本当に美味しいマフィンができるのかと実験せずにはいられない。

スーパーで半額になった腐りかけバナナを買ってきて作ってみた。

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確かに、しっとり美味しい。なかなかいける。

バターと白砂糖をふんだんに使ったお菓子より罪悪感も薄い。

実際は、「バター→なたね油」、「白砂糖→てんさい糖」なので、糖と油の過剰摂取に変わりはないのだけれど。

長男に「食べる?」と勧めると、私の圧に押され「うん」と言って、1つ持っていった。

強制的に食べさせてごめんよ長男。

感動のツボ

数年前、茅野市尖石縄文考古館で土偶

縄文のビーナス」、「仮面の女神

を見て感動した。縄文人、破天荒すぎる、そして美しすぎる。

昨日、ボーダレスアート展で作品を見た。

見る人の存在を意識していない作品。伸び伸びとしていてかっこいい。

その会場に「造形衝動の1万年」という本が置かれていた。そこには、縄文人が作った土器や土偶と障害者の方が製作したアウトサイダーアートが載っていた。

なんと!土偶アウトサイダーアートが「造形衝動」というキーワードでつながり、同じカテゴリーで紹介されていることに衝撃を受けた。

と同時に、私の感動のツボは「造形衝動で作られた作品」だと気づいた。言語化されてスッキリ。

そういえば、子供達が幼い頃で作ってくれた作品も好きだったな。

自称ミニマニストの私だけれど、それだけは今も処分できず押入れの奥に眠っている。

パートナーがいれば適切なリスクがとれる

「お風呂の栓を確認してください。」

まただ・・。

夫はお風呂の栓を閉め忘れる。

わが家のお風呂を沸かす手順は、

①お風呂の窓を閉める

②お風呂の栓を閉める

③自動湯沸かしのスイッチを押す

夫は、窓を閉めると、栓を閉めるのを忘れるらしい。

共同生活者として辛い。

夫の唯一の家事なのに、クオリティが低すぎる。そして、普段は学習スペースでお勉強をしている夫は、お風呂を沸かすタイミングで帰宅することも週に1回程度だけれど。

Audible『お疲れ、今日の私 ジェーン・スー

で申真衣さんの言葉が紹介されていた。

真衣さんはファッションモデル兼社長でもある。

「パートナーがいれば適切なリスクがとれる」

子供を抜きにして、私が夫と共同生活をしている理由は、これにしようと思った。

自分が何かチャレンジするときにリスクをとりやすくするための夫。

そうでも考えないとやってられないと思う今日この頃。

何のために夫と共同生活をしているのか問わずにはいられない。そして、何らかの答えにすがらずにはいられない自分。本当にお疲れさま。

半狂乱だった自分にかけてあげたい言葉

先日、夏休み明けから不登校の小4の次女が

「私優しいから、学校にいると気を使って疲れるんだよね」と言った。

学校に行けない理由らしきものを言ったのは、不登校3人目の次女が初めて。

次女はこの理由に加え、長女、長男が家にいるから、自分だけが「疲れる場所」に行く気力が保てなかったのだろうと推測する。

長女が不登校になったとき、何とか学校に行く糸口を見つけたかった私は、半狂乱で学校に行けない理由を長女に追求していた。

その結果、長女自身も行けない理由がわからない、もしくは言語化できないことがわかった。

そして、この行為は恐ろしく、親子ともにすり減らし、疲弊させる事だと気づいた。

それ以来、長男、次女には不登校の理由を追求したことはない。

今となっては、半狂乱の自分を抱きしめて、「学校に行けない理由なんてわからなくたって大丈夫だから」と声をかけてあげたい。

そして、運悪く長女だったために、母親から拷問のような言葉を浴びせられていた長女にどこかのタイミングで謝りたいと思った。