笑い話になる日を待つ不幸話

高齢の方に、人生の思い出を尋ねると、たいてい、苦労話を笑い話として生き生きと楽しそうに話されるそうだ。確かにそうかもしれないと思う。

7年前、長女が不登校になったが、その1年前に私は4人目の子供を流産していた。

長女が不登校になった後、

夫「水子の祟りだと思う。お祓いに行った方がいい」と言い出した。

私「お祓いしたければ1人で行って。私は日常に精一杯でそれどころではないから」

長女不登校後も、夫は残業の日々。私は、3人の子のワンオペ育児をしていた。

夫に心を閉ざすきっかけとなった出来事。

今となっては「そんね事あるわけないでしょっ」と笑って言える余裕があったらよかったと思う。

その話題は既に暗黙の了解のタブーとして一度も話題に上がったことはないけれど、夫への不信感として心にひっかかったまま7年たった今でも残っている。

ただ、ようやく、思い出しても怒りの感情が湧き上がってこなくなってきた。

時間の経過の力はすごい。時間の経過で心が浄化されていくことをイメージする。

いずれ笑い話になる日を夢見て。

フランスの電車のようにおおらかになりたい

昨年4月から県外の通信制高校に通う長女。

年末から帰省し、地震も心配なので今も帰省中。

昨日、昼に家に帰ると

長女;「寝坊して、バスに乗り遅れたから駅まで車で送って欲しい」

私;「1時までに職場に戻らないといけないから今すぐなら送れるよ」

長女:「今すぐは無理。準備に時間がかかる」

私:「仕事、休めってこと!?」

と語気が強くなってしまった・・。

私の怒りスイッチがオンになった理由を考えてみた。

①彼女の寝坊の皺寄せで、なぜ私が急に予定を変更しなければいけないのか理不尽と感じたから。

②子供の寝坊を理由に仕事を休む自分が嫌だ。社会的におかしい気がする。

フランスの電車は時間通りに来なくて適当。その代わり、乗り遅れた人を待っていてあげたりとおおらかで寛容という話を聞いたことがある。ある程度、適当な社会の方が色々なものを受け入れることができて幸福度が高いとも聞いたことがある。

クソ真面目に育ってきた自分にとって、適当にすることは簡単なことではないけれど、フランスの電車のようにおおらかで、しなやかで、寛容になれたらいいなと思う。

 

安静にできない病

1ヶ月前、ストレッチ中に「パツッ」と音がして左腿裏の筋が切れた。

ストレッチで損傷すること自体、おばさんみたいで(40過ぎのおばさんだから仕方がないとも思う)ショックだったけど、なかなか治らないこともショックだ。

治らない理由は明らかで「安静にできないから」一日一万歩やランニングがやめられない。

足が痛くても無理してやってしまう。

体に良いとされる習慣を手放す勇気と覚悟がない。体力が後退することへの恐怖がある。

良いとされる習慣を手放す自分を受容できるかどうかも不安だ。

安静にできないのは、向上していない自分を受容できない病と気づいた。何だか、ナルシストっぽいし、息苦しい。

おおげさだけど、どんな自分も受け入れる勇気と覚悟をもって、安静にしたいなと思った。

 

 

籾山タカオに憧れて

地震の余震があるので、自主的に外出自粛。

インスタを見ていたら、スウェーデンで武道、刺し子、蕎麦栽培、蕎麦打ちをする日本人に出会った。

以下、籾山タカオ。

https://madamefigaro.jp/series/yukai/230330-sashiko-boro.html

何だか好きな感じ。

作品は、かちっとしてなくて、気ままで自由な感じ。

ものを大切にする精神も好き。

探し物が見つからないストレスから解放されたくて断捨離精神を身につけてはみたものの、私には、生まれながらにもったいない精神が染みついている。

無性に何か縫いたくなった。

「あっ!手袋」

穴の空いた手袋を思い出し、刺繍糸で縫ってみた。

玉留めすらまともにできないけれど、縫っている間は、それだけに集中できて、いい時間かも。

籾山タカオにも失礼だけど、自己満足の手袋が以下。

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福が来ますように

北陸の冬では珍しい青空だけど、余震が続くので家で待機。

夫は昨日から職場へ。

県民のために働いているはず。

頼りない母だけど、家にいないよりはいいだろう。

昨日は、引きこもりの長男が防災グッズ準備すると言い、家にある食料、懐中電灯などリュックに詰めてくれた。

いつもは、2階の自分の部屋で食べている夕飯も一緒に食べた。

猫が揺れに驚いて餌を食べなくなったこと、I Padから離れるのは自分にとって良い時間など他愛もないことで会話が弾んだ。

長男とこんなに会話をしたのは何年ぶりだろう。

玄関に招き猫の土人形を飾ってみた。

福が来ますように。

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地震 生かされていることに気づく

昨日、ブログ投稿後震度5強の地震がきた。

今までに経験したことのない大きな揺れ。怖かった。

とっさに、海近くに住む7年間喧嘩中の両親に早く逃げてとLINEしていた。

親にも夫にも子供にも死んでもらいたくない。

そして、自分も死にたくないと思った。

こでまで何度も生きていることに投げやりになり、人生をしまいたいと思ったり、冗談まじりに「終活中」と言ったりしたけど、私はまだ生きたい。

月並みだけど、私は偶然生かされていると思った。普段の日常の生活、生きていることに感謝。

今の気持ちをしっかりと心に刻みたい。

正月のしきたり休憩中

年々、正月を迎えるしきたりをやらなくなってきた。

例えば、

・天神様(私の地域では天神様の掛軸などを正月に飾る習慣がある。)

・神飾り

・年賀状

・年越しそば

おせち料理

・家族での初詣

・実家への年始の挨拶

やらなくなった事情はそれぞれだけど、ざっくり言うと、気分が乗らないからやらなくなった。

なので今は、正月ではなく、ただの連休状態。

以前は、「ちゃんとしていたい」を理由に、嫌がる子供達を連れて初詣でや実家への挨拶も行っていた。

子供の不登校をきっかけに社会通念に従う頑張りの糸がプツンと切れてしまった。

子供や自分が不機嫌になってまでがんばらなくていいなと。

天神様や神飾りを飾るといった丁寧な生活に憧れはあるけれど、気分が乗って、できる時がきたらやればいい。

今日は、正月と関係ないけれど、小豆を煮てお汁粉を作った。子供達にも大好評。今は、しきたりよりも家族と自分の笑顔を優先したい。