福が来ますように

北陸の冬では珍しい青空だけど、余震が続くので家で待機。

夫は昨日から職場へ。

県民のために働いているはず。

頼りない母だけど、家にいないよりはいいだろう。

昨日は、引きこもりの長男が防災グッズ準備すると言い、家にある食料、懐中電灯などリュックに詰めてくれた。

いつもは、2階の自分の部屋で食べている夕飯も一緒に食べた。

猫が揺れに驚いて餌を食べなくなったこと、I Padから離れるのは自分にとって良い時間など他愛もないことで会話が弾んだ。

長男とこんなに会話をしたのは何年ぶりだろう。

玄関に招き猫の土人形を飾ってみた。

福が来ますように。

f:id:warajirun:20240102124846j:image

 

地震 生かされていることに気づく

昨日、ブログ投稿後震度5強の地震がきた。

今までに経験したことのない大きな揺れ。怖かった。

とっさに、海近くに住む7年間喧嘩中の両親に早く逃げてとLINEしていた。

親にも夫にも子供にも死んでもらいたくない。

そして、自分も死にたくないと思った。

こでまで何度も生きていることに投げやりになり、人生をしまいたいと思ったり、冗談まじりに「終活中」と言ったりしたけど、私はまだ生きたい。

月並みだけど、私は偶然生かされていると思った。普段の日常の生活、生きていることに感謝。

今の気持ちをしっかりと心に刻みたい。

正月のしきたり休憩中

年々、正月を迎えるしきたりをやらなくなってきた。

例えば、

・天神様(私の地域では天神様の掛軸などを正月に飾る習慣がある。)

・神飾り

・年賀状

・年越しそば

おせち料理

・家族での初詣

・実家への年始の挨拶

やらなくなった事情はそれぞれだけど、ざっくり言うと、気分が乗らないからやらなくなった。

なので今は、正月ではなく、ただの連休状態。

以前は、「ちゃんとしていたい」を理由に、嫌がる子供達を連れて初詣でや実家への挨拶も行っていた。

子供の不登校をきっかけに社会通念に従う頑張りの糸がプツンと切れてしまった。

子供や自分が不機嫌になってまでがんばらなくていいなと。

天神様や神飾りを飾るといった丁寧な生活に憧れはあるけれど、気分が乗って、できる時がきたらやればいい。

今日は、正月と関係ないけれど、小豆を煮てお汁粉を作った。子供達にも大好評。今は、しきたりよりも家族と自分の笑顔を優先したい。

 

仮面をかぶってマガママに。

Audible『幸せへのセンサー 吉本ばなな

59歳になった吉本ばななのエッセイ。

今の自分にFitして、聴いていて心地がよかったので、掃除や散歩をしながら2回聴いた。

その中に、『「仮面をかぶる」には悪いイメージがあるけれど、「仮面をかぶる」ことで仮面の下で無理をせず、心地よくいられた。』といったことが書かれていた。

私は「不登校の母仮面」をかぶっている。実際に不登校の母だから仮面ではないのかもしれないけれど。

この仮面をかぶってから、無敵になった。

職場の飲み会やママ友の誘いなど、自分の気の進まない場面は、全てこれで断れる。

断ったところで、無理強いする人はいない。

皆、腫れ物扱いをしてくれる。

正直、腫れもの扱い大歓迎。

実際は、わがままに、参加する場所、付き合う人を選んでいるだけなのだけど。

子供の不登校がなかったら、今も、自分のセンサーではなく、社会常識とかに従って気の進まない場に参加していたかと思うとゾッとする。

子供の不登校のおかげで、自分のセンサーに敏感になれたのは、よかったことかなと思う。

今は、仮面をかぶってワガママに。

そして、仮面がなくなっても、自分の「心地よい」とか「楽しい」のセンサーを大切にしてワガママに人付き合いをしていきたいと思う。

自分で選んだ人生ならお金がなくても幸せなのかもしれない

脱サラ就農して約20年目ご夫婦のお宅におじゃました。

高台で煙突のあるログハウス。

薪ストーブでは、畑で穫れた落花生が炒られている。

私が「スローライフいいですね。」と言うと、

奥様は「スローライフは忙しいのよ」と楽しそう。

畑で穫れた青豆でこれから味噌づくりとのこと。ご主人は米麹から手作りするのだとはりきっておられる。

3人の子を育てたけれど、お金がなかったから、DSを欲しがった時は、子供達に畑の豆を収穫させて販売させたとのこと。

『何だか、お金がなくても幸せそう。』

と思った時、『お金がないと幸せになれない』と私自身が思い込んでいたことに気がついた。

思い起こすと、私の父は30代で脱サラし起業した。最終的には軌道に乗ったものの、私が子供の頃はお金のことで夫婦喧嘩が絶えなかった。

お金は喧嘩をせず穏やかに過ごすための前提条件だと心に染み付いていたのだ。

帰る時、外に出ると雪で白くなった山並みが美しい。お土産に白菜と自家製いちごジャムをいただいた。

人生を楽しみながら、幸せそうなご夫婦を見ているとお金がなくても幸せなのかもしれないと思った。「自分で選んだ人生であれば」という条件はつくのかもしれないけれど・・。

 

シンプルで実用的なアドバイス

私は、車の運転が苦手だ。特に雪の日の運転は苦手なので、プライベートでは雪が降ると、ほとんど運転をしない。

昨日は雪がひどかった。仕事で山間地域へ行く約束があった。覚悟を決め、目的地に向かった。途中何度か、タイヤが空回りし、進めなくなりそうになったが何とか目的地に到着した。

用事を済ませ外へ出ると、さらに雪が積もり、吹雪だった。私は、雪に埋もれづに職場まで帰れるのかと不安になり、雪の日の運転のコツを地元の方に聞いた。

かなり、凸凹道だから雪にはまるかもしれないけれど、はまったら、以下のようにとのこと。

「焦らず、チョッ、チョッ、チョッとアクセルを踏む。アクセルを一気に踏み込むとタイヤが空回りして進めなくなる。前進、バックを繰り返すうちに、進めると思う。帰りは下りだから轍に沿って、運転すれば多分大丈夫だと思うけど、進めない場合は周りの人を呼べばよい。」

え〜!既に暗いし、周りの人を呼ぶと言っても民家のない場所がほとんど。不安過ぎる。

『焦らない。チョッ、チョッ、チョッのアクセル』を自分に言い聞かせつつ出発。

途中、立ち往生しているトラックを見かけ、緊張感が高まった。

アクセルを、何回かに分けて踏み込むことで、タイヤが空回りせず、何とか雪道を運転できた。

通常の倍の時間をかけ職場に到着。

地元の方のシンプルで実用的なアドバイスありがたかった。アドバイスがなければ、途中立ち往生していたかもしれないと思うと恐ろしい。

それ以前に、「雪がひどいから日を改めて欲しい」と相手の方に相談すべきだった。

雪国生まれ、雪国育ちで、雪道運転が苦手と恥ずかしくて言えなかった自分に気がついた。

無駄に雪国プライドが高い自分を反省。苦手なことは苦手と認め、恥ずかしがらずに公開することでもっと無理なく楽に生きれるようになる気がする。

理想は「親だけど分からなくて当たり前」

Audible「高橋源一郎飛ぶ教室

NHKラジオ番組「飛ぶ教室」の冒頭約3分間のオープニング・エッセイをまとめたもの。

高橋源一郎さんの、驚きのエピソードがあっさりと語られ、自分の気持ちや気づきが素直でやさしい言葉で表現される。深いい話から、共感したり考えさせられたりと楽しい。

その、エッセイの中に、高橋さんが、親に関心を持てず、理解もできなかったけど、最近わかるようになってきたとあった。

そして、自分の親のことを以下のように考察していた。

「子供の部分を持ちながらも、親という役割を演じてくれていた。」

この言葉を聞き、まず、親になりきれていない自分のことを思った。

親という役割が追加されたけれど、相変わらず気持ちは子供のままで夢ばかり追いかけてしまう。

でもそれは、自分だけに限らないのかもしれないと思うとホッとした。

次に、絶縁状態の親のことを思った。

絶縁理由は以下。

https://warajirun.com/entry/2023/08/13/073939

自分の親も同じように、親という役割を演じる子供の部分を持った同じ人間なのではという気持ちになった。

私の怒りの原因は「親なのに分かってくれない、理解不足」だったけれど、親だって経験していないことは分からないし理解できなくて当たり前なのかもしれない。

私の中の「親だから分かってくれるはず、理解してくれるはず」バイアスが怒りの根源だった気がする。

親だけど、「分からなくて当たり前、しょうがないよね」が理想かも。

盆も正月も顔を出さなくなって、7年。

長時間の接触は、メンタルダメージリスクが高いけれど、正月のあいさつくらいは行けるようになった方がいいのだろうなとも思う。