仮面をかぶってマガママに。

Audible『幸せへのセンサー 吉本ばなな

59歳になった吉本ばななのエッセイ。

今の自分にFitして、聴いていて心地がよかったので、掃除や散歩をしながら2回聴いた。

その中に、『「仮面をかぶる」には悪いイメージがあるけれど、「仮面をかぶる」ことで仮面の下で無理をせず、心地よくいられた。』といったことが書かれていた。

私は「不登校の母仮面」をかぶっている。実際に不登校の母だから仮面ではないのかもしれないけれど。

この仮面をかぶってから、無敵になった。

職場の飲み会やママ友の誘いなど、自分の気の進まない場面は、全てこれで断れる。

断ったところで、無理強いする人はいない。

皆、腫れ物扱いをしてくれる。

正直、腫れもの扱い大歓迎。

実際は、わがままに、参加する場所、付き合う人を選んでいるだけなのだけど。

子供の不登校がなかったら、今も、自分のセンサーではなく、社会常識とかに従って気の進まない場に参加していたかと思うとゾッとする。

子供の不登校のおかげで、自分のセンサーに敏感になれたのは、よかったことかなと思う。

今は、仮面をかぶってワガママに。

そして、仮面がなくなっても、自分の「心地よい」とか「楽しい」のセンサーを大切にしてワガママに人付き合いをしていきたいと思う。

自分で選んだ人生ならお金がなくても幸せなのかもしれない

脱サラ就農して約20年目ご夫婦のお宅におじゃました。

高台で煙突のあるログハウス。

薪ストーブでは、畑で穫れた落花生が炒られている。

私が「スローライフいいですね。」と言うと、

奥様は「スローライフは忙しいのよ」と楽しそう。

畑で穫れた青豆でこれから味噌づくりとのこと。ご主人は米麹から手作りするのだとはりきっておられる。

3人の子を育てたけれど、お金がなかったから、DSを欲しがった時は、子供達に畑の豆を収穫させて販売させたとのこと。

『何だか、お金がなくても幸せそう。』

と思った時、『お金がないと幸せになれない』と私自身が思い込んでいたことに気がついた。

思い起こすと、私の父は30代で脱サラし起業した。最終的には軌道に乗ったものの、私が子供の頃はお金のことで夫婦喧嘩が絶えなかった。

お金は喧嘩をせず穏やかに過ごすための前提条件だと心に染み付いていたのだ。

帰る時、外に出ると雪で白くなった山並みが美しい。お土産に白菜と自家製いちごジャムをいただいた。

人生を楽しみながら、幸せそうなご夫婦を見ているとお金がなくても幸せなのかもしれないと思った。「自分で選んだ人生であれば」という条件はつくのかもしれないけれど・・。

 

シンプルで実用的なアドバイス

私は、車の運転が苦手だ。特に雪の日の運転は苦手なので、プライベートでは雪が降ると、ほとんど運転をしない。

昨日は雪がひどかった。仕事で山間地域へ行く約束があった。覚悟を決め、目的地に向かった。途中何度か、タイヤが空回りし、進めなくなりそうになったが何とか目的地に到着した。

用事を済ませ外へ出ると、さらに雪が積もり、吹雪だった。私は、雪に埋もれづに職場まで帰れるのかと不安になり、雪の日の運転のコツを地元の方に聞いた。

かなり、凸凹道だから雪にはまるかもしれないけれど、はまったら、以下のようにとのこと。

「焦らず、チョッ、チョッ、チョッとアクセルを踏む。アクセルを一気に踏み込むとタイヤが空回りして進めなくなる。前進、バックを繰り返すうちに、進めると思う。帰りは下りだから轍に沿って、運転すれば多分大丈夫だと思うけど、進めない場合は周りの人を呼べばよい。」

え〜!既に暗いし、周りの人を呼ぶと言っても民家のない場所がほとんど。不安過ぎる。

『焦らない。チョッ、チョッ、チョッのアクセル』を自分に言い聞かせつつ出発。

途中、立ち往生しているトラックを見かけ、緊張感が高まった。

アクセルを、何回かに分けて踏み込むことで、タイヤが空回りせず、何とか雪道を運転できた。

通常の倍の時間をかけ職場に到着。

地元の方のシンプルで実用的なアドバイスありがたかった。アドバイスがなければ、途中立ち往生していたかもしれないと思うと恐ろしい。

それ以前に、「雪がひどいから日を改めて欲しい」と相手の方に相談すべきだった。

雪国生まれ、雪国育ちで、雪道運転が苦手と恥ずかしくて言えなかった自分に気がついた。

無駄に雪国プライドが高い自分を反省。苦手なことは苦手と認め、恥ずかしがらずに公開することでもっと無理なく楽に生きれるようになる気がする。

理想は「親だけど分からなくて当たり前」

Audible「高橋源一郎飛ぶ教室

NHKラジオ番組「飛ぶ教室」の冒頭約3分間のオープニング・エッセイをまとめたもの。

高橋源一郎さんの、驚きのエピソードがあっさりと語られ、自分の気持ちや気づきが素直でやさしい言葉で表現される。深いい話から、共感したり考えさせられたりと楽しい。

その、エッセイの中に、高橋さんが、親に関心を持てず、理解もできなかったけど、最近わかるようになってきたとあった。

そして、自分の親のことを以下のように考察していた。

「子供の部分を持ちながらも、親という役割を演じてくれていた。」

この言葉を聞き、まず、親になりきれていない自分のことを思った。

親という役割が追加されたけれど、相変わらず気持ちは子供のままで夢ばかり追いかけてしまう。

でもそれは、自分だけに限らないのかもしれないと思うとホッとした。

次に、絶縁状態の親のことを思った。

絶縁理由は以下。

https://warajirun.com/entry/2023/08/13/073939

自分の親も同じように、親という役割を演じる子供の部分を持った同じ人間なのではという気持ちになった。

私の怒りの原因は「親なのに分かってくれない、理解不足」だったけれど、親だって経験していないことは分からないし理解できなくて当たり前なのかもしれない。

私の中の「親だから分かってくれるはず、理解してくれるはず」バイアスが怒りの根源だった気がする。

親だけど、「分からなくて当たり前、しょうがないよね」が理想かも。

盆も正月も顔を出さなくなって、7年。

長時間の接触は、メンタルダメージリスクが高いけれど、正月のあいさつくらいは行けるようになった方がいいのだろうなとも思う。

喋り過ぎを反省する。

同僚と車に乗っていた時、異動希望調査の話になった。私の会社では、そろそろ異動希望調査が配られる。

私は、専門性を身に付けたいので、異動をしたいのだけど、異動すると勤務地が遠くなる。

子供との時間をできるだけ確保したいので、(子供は望んでいないかもしれないが、自己満足)家との距離が近い今の職場に留まりたいと思っている状況。

同僚にポロッと

「本当は異動したいけど、子供が家にいるから今の職場にとどまるわ。昼家に帰れるし」

と言った。

同僚(わが家の不登校を知っている)

「うちの子は、小学生だけど、朝にカレーとか準備していけば自分たちで勝手に食べるよ」

まさかの、うちの子はすごいマウント。

その、マウント、不登校児の親に対してとる意味ある!?

あなたの家庭は、それ、土日とかたまにのことでしょう。わが家は毎日なのです。

しかも、カレーの準備はあなたではなく奥様がするのでしょう。

無神経発言にダメージを受けつつ、自分の喋り過ぎを反省。普通の親に心を開いてはいけなかったこと思い出した。

ダメージを受けるリスクが高い。

口は災いのもと。自分がダメージを受けないためにも、喋り過ぎを戒めたいと思った。

 

自分の子供すら救えないのだけれど

現在、小6長男、小3次女が不登校。次女は楽しそうに過ごしているけど、長男は辛そう。笑顔がない。

自分の子供すら救えない、笑顔にしてあげられない自分が国際協力に興味をもつことすら、気が引けて、後ろめたい。

と思いつつ、瀬谷ルミ子さんの公演を聞いた。

「紛争解決という職業;世界で起きていることと私たちにできること」

瀬谷ルミ子さんは、The New York Times「世界に足跡を残す10人の女性」に掲載されている方だ。

美しくてかっこよい見た目に加え、飾らない等身大の言葉は説得力があり、誠実さと実直さが伝わってくる。

華やかな経歴の持ち主だろうと勝手な偏見をもっていたけど、両親は高卒で群馬県の田舎出身。

国際協力の仕事をしたいと思った最初のきっかけは、「取り柄がない自分へのコンプレックス」。行動しては考えて、考えては行動しての繰り返しだったことが伝わってきて感動した。

聴講者に学生が多かったので、学生に向けて瀬谷さんからのメッセージ

・自分の手の中に人生を選ぶ権利がある。

・世の中の全ての人が選択肢をもてるわけではない。

・選択肢には使用期限がある。

・心が熱いうちに選択し、行動を起こす。

40代の私にも刺さりました。

不登校の子がいるから、国際協力は後ろめたいという感情を選択するのか、不登校の子がいても、国際協力は興味があるし関わりたいと行動を起こすのか。どちらを選択するかは自分で選べる。

さっそく、メールマガジン登録と、facebookをフォロー。以下瀬谷さんが理事長の国際NGO

https://reals.org/

 

それは長男がしたいことではなく私がしたいことでした。

中山間過疎地域が好きだ。

好きな理由は、風格ある農村風景、知恵のある生活、豊かな自然など漠然としている。

「過疎に打ち克つ 宮口としみち」を読んだ。

目から鱗だった。

人口増を目指すことへの問題提起がされ、「先進的な少数社会」、「魅力ある低密度居住」が提案されていた。

私は、日本の人口を増やす方向性に疑問を持ったことがなく、子供を3人産む選択にも何の疑問も抱いていなかった。今思うと、恐ろしい思い込み。

本の中には、コラムとして、山村留学が紹介されていた。主なもの2つの詳細以下。

粟島浦村のしおかぜ留学

https://www.vill.awashimaura.lg.jp/study-iland/study-iland-outline/

長野県売木村 山村留学センター売木学園

https://sanson.urugi.jp/

自然に囲まれたところで、引きこもりのわが家の子供達がのびのび生活できたらいいな。

早速、長男に、一緒に粟島に行かないか提案した。脈あれば、仕事を休職する覚悟で。

答えは即答で「(行かなくて)大丈夫。」

「そ、そうだよね。」

島暮らし。長男がやりたいことではなく、完全に私がやりたいことでした。

自己中心的な突飛な発言に反省しつつ、島での生活を妄想し、しばし現実逃避をしてしまいました。